50 四大人主要著書一覧
 
                       参考:堀書店発行「神道辞典」ほか
 
大祓詞考オホバラヒコトバカウ 賀茂真淵著
 祝詞式本文の注釈書として学術的研究に新しい分野を拓いた名著『延喜式祝詞考』三
 巻の中巻に所収の大祓詞の部分の称。この著は元田安侯の命に応じて延享三年(1746
 )に著した『延喜式祝詞解』五巻に修正を加えて二年後の明和五年に成稿した改訂本
 で、周到な解釈法を以って古文の究明に努めた形跡が認められ、以後祝詞研究の準拠
 となった。自序に曰く、「あなにたふときすめ神の道」を見出さんと意図したと。
 
大祓詞後釈オホバラヒコトバカウシャク 本居宣長著
 二巻。賀茂真淵『祝詞考』中の大祓詞の注釈を祖述したもので、語釈形式は師説を「
 考伝」として一々引用した後に、「後釈」の見出しを以って宣長の見解を述べている。
 師説を増補校訂し或いは是正したところが多く、大祓詞の注釈書としてこの二著作は、
 これまで中臣祓の名で教学的解釈に終始していた数多い類書から脱出した学術的研究
 の嚆矢として、日月双璧の地位にある。
 
神字日文伝カンナヒフミノツタヘ 平田篤胤著
 文政二年(1819)成る。神字日文伝は二巻であるが、『疑字篇ギジヘン』一巻を附録と
 している。刊本三冊。神字日文即ち神代文字の実在したことを主張したもので、十三
 種の神代文字を挙げて、詳細に検討し、疑字篇には、疑わしいと考えられるものを集
 めて紹介し、批判している。この種の研究としては、最も纏まったもので、当時の学
 会に大きな反響を呼んだ。
 
国号考コクガウカウ 本居宣長著
 天明七年(1787)頃稿。古代からの我が国の様々な国号についての論。大八島国。葦
 原中国(高天原から名付けた国号)。夜麻止(ヤマトに三義ある。(一)山処オマト。(二)
 トはツホの約。ツはノ、ホは物のつゝまれこもる意。山に包まれた処を言う。(三)山
 の中の意。読者は随意に採ったらよい)。秋津島アキヅシマ(蜻蛉アキヅの名から採る)。
 師木島。和。日本ニホムは、比能母登ヒノモトからの文字ではない。孝徳天皇の大化元年(
 645)他国に示そうとの意図で新しく建てた国号で、公式令の詔書式に明らかであると
 云う。
 
古事記伝コジキデン 本居宣長著
 四十四巻。明和元年(1764・三十五歳)起稿して寛政十年(1798・六十九歳)脱稿。
 宣長は、青年時代歌書の勉学に準じて、皇国の古意を思索すると、世の神道者の説く
 趣が大いに誤っていることに気付き、頼むべき師を求めていたところ、二十八歳のと
 き、賀茂真淵の冠辞考を得て、いよいよ志深くなり古事記の注釈を企てていた。三十
 四歳の五月旅路の途中、松阪に宿った真淵に見マミえて、訓しを受けた。玉勝間に「い
 にしへのこころをえむことは、古言を得たるうへならではあたはず、古言をえむこと
 は、万葉をよむ明らむるにこそあれ、さる故に、吾はまづもはら万葉をあきらめんと
 する程に、すでに年老て、のこりのよはひ、今いくばくもあらざれば、神の御ふみを
 とくまでにいたることえざるを、いましは年さかりにて、行さき長ければ、今よりお
 こたることなく、いそしみ学びなば、其心ざしとぐることをいうべし」と記している
 が、美しい師弟の信愛に古事記伝は発足し、宣長はよく文献学的方法を貫徹して、実
 証的に古意を究明した。
 一之巻は、古記典等総論イニシヘブミドモノスベテノサタ・書紀の論アゲツラひ・旧事紀といふ書の論・
 記題号フミノナの事・諸本又注釈の事・文体カキザマ・の事・仮字カナの事・訓法ヨミザマの事・直毘霊
 ナオビノミタマ、二之巻は、序の注釈・大御代之継継御世御世之御子等(系図)、三之巻から
 十七之巻までは、上巻(神代)の注釈、十八之巻から三十四之巻までは、中巻(神武
 〜応神)の注釈、三十五之巻から四十四之巻までは、下巻(仁徳〜推古)の注釈であ
 る。古事記は言うまでもなく、国学の金字塔である。
 
古史成文コシセイブン 平田篤胤著
 三巻。平田篤胤の学問体系の中核たるべき書。
 日本書紀・古事記・古語拾遺・風土記等の諸古典に見える伝承の異同を検討し、正しいと
 考える古伝を採って、古事記の文体で、一貫したものに成文した。文化八年(1811)
 神代の部百六十五段・三巻を脱稿したが、推古天皇の御代までと云う予定は実現しなか
 った。
 古史徴は、その成文の根拠を明らかにしたものであり、古史伝はその注釈である。文
 政元年(1818)刊、三冊。同六年(1823)本書を古史徴等と共に献上のため上京した
 とき、富小路貞直より貰った序文が、その後の版には附載されている。
 
古史徴開題記コシチョウカイダイキ 平田篤胤著
 一巻。文政二年(1819)成る。
 古史成文の典拠を明らかにしたのが古史徴であるが、その一之巻を特に開題記とし、
 古伝及び古伝研究の基本的文献について解説した。古伝説の本論・神世文字の論・古史
 二典の論・新撰姓氏録の論・上件三典に添読べき書等の論と説きすすめているが、全体
 を春夏秋冬の四冊に分け、各冊の初めに門人山崎篤利の目録大意を添えてある。また
 神代系図を附録とし、更にその末に「撰古史之時、祈願神等詞」を掲載している。
 
古史伝コシデン 平田篤胤著
 三十七巻。自著古史成文の注釈。
 古史成文は、古伝の異同を検討し、日本書紀・古事記・古語拾遺・風土記その他の古書を
 取捨して、著者が正しいと考証した古伝によって、一貫した古史を綴り成したのが古
 史成文であるが、その取捨の根拠を一々明らかにしたのが古史徴、古史研究に参考す
 べき古書を解説したのが古史徴開題記、古史成文を注釈して古道の真意を説き尽くそ
 うとしたのが古史伝である。古史成文は予定十五巻(神代より推古天皇の御代まで)
 のうち、神代の部三巻百六十五段が文化八年(1811)に古史徴三巻と共に成り、翌九
 年より古史伝の稿を始めて、文政八年(1825)までに、成文既成の分について大部分
 の伝を書き上げた。古史伝を執筆しつつ古史成文の字句を修正したところが若干見ら
 れるが、成文の第百四十八段及び第百四十九段を、伝の本文では一段に合わせて修正
 しているため、以下伝では一段ずつ繰り上がって、最後は第百六十四段となっている。
 篤胤の稿本では、第一段より第百四十三段までは完成、第百四十四段は未完成、第百
 四十五段は欠け、第百四十六段より第百四十九段までは一応の稿成り、以下は欠けて
 いたが、篤胤の死後、養嗣子平田鉄胤は、長男平田延胤に続考を期待したが、明治五
 年延胤が没したため、矢野玄道に依頼して、神代の部全部を完成せしめた。
 
古道大意コダウタイイ 平田篤胤著
 二巻。文化十年古道の大意を講じたのを、門人が筆記したもので、俗神道大意・伊吹颪
 イブキオロシ・玉たすき等一連の、いわゆる「講本」の一つである。古学の内容・沿革から神
 代のあらまし、皇統連綿の事実、日本の風土の優秀性、大和心などを論じつつ、日本
 の神国たるゆえんを説明しており、古道の平易な概説である。板本二冊、小沢俊秀の
 はしがき、平田鉄胤の文政七年正月附「古道大意の由緒」を載せている。
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