50a 四大人主要著書一覧
 
創倭学校啓ソウワガクカウケイ 荷田春満著
 一巻。詳しくは「謹請蒙鴻慈創造学校啓」と云い、また単に「創学校啓」とも「荷田
 大人創学校啓」「荷田大人啓」などとも云われる。
 春満が享保十三年九月、養子の在満を江戸に下向せしめて、将軍徳川吉宗の御用人大
 島雲平を介して国学校創建のことを幕府の要路に上申せしめた啓文である。当時、儒
 学は随所に起こり、仏教は日を逐うて盛んなるも、神皇の教(神道)のみは年と共に
 陵夷し、また学校の施設はあっても、皆漢籍のみを講じて、一として国書に及ぶもの
 のないことを嘆き、神道の興隆、国学の振興をもたらそうとして、国学校創建の急務
 なることを訴えたもので、この一文は、実に国学勃興の一大烽火をなす程の大きな力
 となるに至ったものである。
 
俗神道大意ゾクシンタウタイイ 平田篤胤著
 四巻、板本四冊。最初「巫学談弊」と称した。講義を門人が筆録したもの。文化八年
 (1811)に講じ、万延元年(1860)に出版。
 国学における古神道の立場から、当時行われていた他の神道諸流全てを真の神道でな
 い神道、「俗神道」又は「巫学」とみなして、一々諸流諸説を詳細に批判したもの。
 対象となった俗神道とは両部神道・唯一神道・垂加神道、及び当時の神道儀礼などで、
 主にそれらの仏教、儒教との習合性を攻撃している。
 批判の立場は本居宣長の両部神道批判を継承し、林羅山の神道研究(『本朝神社考』
 など)の成果を利用しているが、国学の神道観が最も鮮烈に表現されたものとして注
 目される書である。
 
霊能真柱タマノミハシラ 平田篤胤著
 二巻。文化九年(1812)成る。
 天地の初めの状態を十箇の図に書き表し、説明を加えたもので、図は服部中庸の三大
 考を採って若干の修正を施し、説明は前年に撰した古史成文に基づいて進めている。
 顕事・幽事のこと、神魯企・神魯美命のこと、天浮橋のこと、天・地・泉、日・月・星のこ
 となどについては特に詳論し、また死者の魂の行方は黄泉ではなくて幽冥であると云
 う説を展開して、儒仏蘭の説を批判している。篤胤の幽冥観を窺うに足るものである。
 
玉鉾百首タマボコヒャクシュ 本居宣長著
 一冊。天明七年春版。鈴屋遺蹟保存会蔵稿本によると、天明六年閏十月十九日には既
 に成立。
 宣長が古道・古学の精粋を万葉風古体の短歌に詠んだ百首。阿麻理歌三十二首を附載す
 る。古事記伝巻二十二を執筆する間の作で、直毘霊に照応する意義を持つ。宣長学の
 高大な体系を凝縮した思想的核と言える。短歌の形を採っているので、神ながらの道
 の正気が激しく迸ホトバシる。神典の研究に徹して絶対の新年に達したのである。
 
直毘霊ナホビノミタマ 本居宣長著
 一巻。宣長四十二歳のときの著で、その古道、神道説の精粋であり、師の賀茂真淵の
 『国意考』と共に復古神道の経典とも目される。
 高天原に坐ます天照大御神の御神徳、天皇の尊厳性、永続性を堂々と謳歌、更に神々
 の働きと善神・悪神の相異(善神たる直毘神に書名の由来がある)及びその二神と世の
 吉凶の関係等に至り、我が日本の道(神ノ道)を示す。その創見の秀抜、高潔な識見、
 純粋無垢な敬神尊皇の志は類を絶し、国学の最高峰の書たるの面目を躍如たらしめて
 いる。至る所に見られる他教、特に漢意カラゴコロ排斥は儒学者の反撃を引起し、「直毘
 霊論争」を生じた。初め「古事記伝」第一巻の附録であったが、後単行本とした。書
 名は「道云事之道ミチトイフコトノアゲツラヒ」「直霊(日)」とも。
 
祝詞考ノリトゴトカウ 賀茂真淵著
 三巻。延喜式祝詞の注釈。明和五年(1768)成る。二十余年前、延享三年(1746)に
 著した延喜式祝詞解五巻が有るが、その後の研究成果に立脚して、全く想を新たにし
 て書いたものである。真淵は、本書完成の翌年七十三歳で没した。
 国学の祝詞研究に新境地を開き、その後の研究の基盤をおいたものとして、画期的な
 意義を持つ。
 
祝詞正訓ノリトセイクン 平田篤胤著
 上下二巻、一冊。安政五年五月陸奥人高玉安兄跋。
 延喜式巻八所載の祝詞について、本文を傍らに片仮名を以って正訓を付し、その読み
 方を示した書。
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