22 直毘霊
 
                       参考:吉川弘文館発行「古事類苑」
 
〈直毘霊ナオビノミタマ〉(『古事記伝』巻一)
 皇大御国は、掛まくも可畏き、神御祖天照大御神の御生坐る大御国にして、大御神、
大御手に天つ璽を捧持して、万千秋の長秋に、吾御子のしろしめさむ国なりと、ことよ
さし賜へりしまにまに、天雲のむかぶすかぎり、谷蟆さわたるきはみ、皇御孫命の大御
食国とさだまりて、天下にはあらぶる神もなく、まつろはぬ人もなく、千万御世の御末
の御代まで、天皇命はしも大御神の御子とましまして、天つ神の御心を大御心として、
神代も今もへだてなく、神ながら安国と平けく所知看しける大御国になもありければ、
古の大御世には、道といふ言挙もさらなかりき、其はただ物にゆく道こそ有けれ、
 
物のことわりあるべきすべ、万の教へごとをしも、何の道くれの道といふことは異国の
さだなり、然るをやゝ降りて、書籍といふ物渡参来て、其を学びよむ事始まりて後、其
国のてぶりをならひて、やゝ万のうへにまじへ用ひらるゝ御代になりてぞ、大御国の古
の大御てぶりをば取別て、神道とはなづけられたりける、
そはかの外国の道々に、まがふがゆゑに神といひ、又かの名を借りて、こゝにも道とは
いふなりけり、
しかありて御代々々を経るまゝに、いやますますにその漢国のてぶりをしたひまなぶこ
と盛になりもてゆきつゝ、つひに天の下所知看す大御政も、もはら漢様に為はてゝ、青
人草の心までぞ其意にうつりにける、
さてこそ安けく平けくて有来し御国の、みだりがはしきこといできつゝ、異国にやゝ似
たることも後にはまじりきにけれ、
 
そもそも此天地のあひだに有とある事は、悉皆に神の御心なる中に、禍津日神の御心の
あらびはしも、せんすべなく、いとも悲しきわざにぞありける、
然れども天照大御神、高天原に大坐々て、大御光はいさゝかも曇りまさず、此世を御照
しましまし、天津御璽はた、はふれまさず伝はり坐て、事依し賜ひしまにまに、天の下
は、御孫命の所知食て、天津日嗣の高御座は、あめつちのむた、ときはにかきはに動く
世なきぞ、此道の霊く奇く、異国の万の道にすぐれて、正しき高き貴き徴なりける、
そも此道は、いかなる道ぞと尋ぬるに、天地のおのづからなる道にもあらず、人の作れ
る道にもあらず、此道はしも、可畏きや高御産巣日神の御霊によりて、神祖伊邪那岐大
神伊邪那美大神の始めたひて、天照大御神の受たまひ、たもちたまひ、伝へ賜ふ道なり。
故是以神の道とは申すぞかし、
 
さて其道の意は、此記をはじめ、もろもろの古書どもをよく味ひみれば、今もいとよく
しらるゝを、世々のものしりびとどもの心は、みな禍津日神にまじこりて、たゞからぶ
みにのみ惑ひて、思ひとおもひ、いひといふことは、みな仏と漢との意にして、まこと
の道のこゝろをばえさとらずなもある、
故おのが身々に受行ふべき、神道の教などいひて、くさぐさものすなるも、みなかの道
々のをしへごとをうらやみて近き世にかまへ出たるわたくしごとなり、
あなかしこ天皇の天下しろしめす道を、下が下として、己がわたくしの物とせむことよ、
人はみな産巣日神の御霊によりて生れつるまにまに、身にあるべきかぎりの行は、おの
づから知りて、よく為る物にしあれば、いにしへの大御代には、しもじもまで、たゞ天
皇の大御心を心として、ひたぶるに大命をかしこみゐやびまつろひて、おほみうつくし
みの御蔭にかくろひて、おのもおのも祖神を斎祭つゝ、ほどほどにあるべきかぎりのわ
ざをして、穏しく楽く世をわたらふほかなかりしかば、今はた其道といひて、別に教を
受けて、おこなふべきわざはありなむや、
 
もししひて求むとならば、きたなきからぶみごゝろを祓ひきわめて、清々しき御国ごゝ
ろもて、古典どもをよく学びてよ、
然せば受行べき道なきことは、おのづから知てむ、
其をしるぞすなはち神の道をうけおこなふにはありける、
かゝれば如此まで論ふも、道の意にはあらねども、禍津日神のみしわざ見つゝ、黙止え
あらず、
神直毘神大直毘神の御霊たばりて、このまがをもて直さむとぞよ、
 
かくいふは、明和の八年といふとしの、かみな月の九日の日、伊勢国飯
高郡の御民、平阿曽美宣長かしこみかしこみもしるす、
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