29 哲学のすすめ[人間の有限性の自覚]
 
                       参考:講談社発行「哲学のすすめ」
 
〈古い形而上学の否定〉
 
△ささやかな試み
 思想史全体を概観しますと、其処には客観性が見られます。我々自身が哲学なくして
は生きて行くことが出来ない以上、出来るだけ客観性を持つ哲学を求めて行く必要があ
ります。以下、私(著者)のささやかな試みを述べます。
 
△思想史の流れ
 思想史の中に、どのような流れが存在しているのでしょうか。この流れの方向は、「
人間が次第に人間自身を自覚してくる」です。人間がどのようなものであるか、人間は
果たして何を知ることが出来るか、などに次第に思索を加えることによって、人間の真
の姿を自覚してきていると思います。このような方向を目指して流れていると云うこと
は、世界観が人間の見方と深く連関しているものである以上、当然のことです。
 
△人間以上のものを価値の基礎に
 古代には、自然は人間以上の大きなものと考え、この自然の理法に従うことが、人間
の正しい生き方であり、其処に人間は価値判断を見出しました。
 中世には、自然を創造した神を考えるキリスト教的考え方が支配します。自然とは異
なったものを人間以上のものと考え、其処に価値判断の基準を求めました。
 
△形而上学的世界観
 人間以上の絶対的なものが存在すると考えますと、其処に安んじて価値判断の尺度を
見出すことが出来ます。宇宙全体のうちに存する大きな生命とか、一切を創造した絶対
的な神を考えることによって、人間は、それに従って生きて行くことの出来る、しっか
りした根拠を持つことが出来ました。
 このような世界観は普通、形而上学的世界観と呼ばれます。「形而上学」とは必ずし
も一義的には用いられませんが、概ね経験を越えたものについての学と云う意味です。
 
△近世における考え方の転回
 近世になりますと、このような形而上学的世界観に疑いが持たれました。果たして経
験を越えたものが存在すると主張することが出来るだろうか、そのような主張はどれだ
けの根拠があるだろうか、と。そして、従来の考え方は大きく転回しました。
 自然科学は自然現象を、経験によって示される姿をそのまま捉えようとするものであ
って、経験を越えたものを問題にしません。自然科学はこのようにして見事な成果を挙
げて成功し、哲学に対しても強い影響を与えました。ここに形状学的世界観に対する不
信が生じました。人間以上の絶対的にものを考えることを止め、人間自身の立場からも
のを見、また考えようとしました。このため近世は、人間が人間自身の立場を自覚した
時代である云われます。
 
△価値の基準の喪失
 形而上学的世界観が崩れるとともに、人間は価値の基準も見失いました。絶対的な価
値の基準を見失った人間は、どのような価値の基準も相対的に考えられました。人間は
益々科学的知識を信頼し、科学によって総てのことが解決出来ると考え、価値判断は不
必要であり、少なくとも学問的な問題ではないと考えるようになりました。これが現代
の支配的な考え方です。
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