22 哲学のすすめ[科学の限界は何か]
 
                       参考:講談社発行「哲学のすすめ」
 
〈科学は哲学から独立した〉
 
△だが哲学は本当に必要か
 前述のように、哲学は誰でも持っているものであり、また持たずに生きて行くことの
出来ないものです。従って人生観と云う意味での哲学も必要になってきます。
 一方、現代のように科学が発展してくると、科学的知識を基礎にしない人生観などは
何の意義を持ちません。つまり、人生観は科学を基礎に生じてくると云うことです。
 それでは我々は正しい人生観を与えてくれるものが科学であるとするならば、たとえ
人生観を哲学と呼ぶとしても、哲学は科学を基礎として成立するものであり、科学とは
異なった哲学と云うものが必要である、と云うことにはなりません。
 それでは、この問題について我々はどのように考えるべきでしょうか。
 
△科学は人生観を変える
 我々は、科学的知識が進歩して行くことによって、人生観も変わって行くと云う事実
を否定することは出来ません。
 たとえば「人間」と云うものについての考え方を振り返って見ましょう。昔は人間は
不滅な霊魂を持ち、霊魂が肉体の内に宿っていると云うことは、霊魂にとってはいわば
一時的なあり方であって、肉体が死んだ後は霊魂はその本来の住処スミカに帰る、と考えら
れていました。しかし現在では通常、このような考え方は持たないのものと思われます。
このような考え方の変化は、科学的知識の進歩によってもたらされたものなのです。無
論我々は現在でも、人間の心と云うものについては、科学的に十分判っていると云うこ
とが出来ません。従って我々は、なお心について最終的な解答を与える訳にはいきませ
んが、少なくとも現在のところ、霊魂の不滅を証明できる科学的根拠はありません。し
かし、霊魂についての考え方が変わってきたのは、正に科学に因るものです。
 このように科学的知識の進歩によって人間についての考え方が変わってくると、そこ
に人生観・世界観の変化も現れます。昔は、霊魂が不滅であり、肉体と結び付くことが
霊魂にとって非本質的であるとすると、この現世的生活よりも死後の生活が重んぜられ
ました。これに反して、不滅な霊魂と云うものを考えないようになりますと、この現世
的生活こそ人間にとって唯一の生活であり、従ってこれに対して価値が置かれることに
なります。こう考えますと、確かに科学の進歩は人生観と云うものに対して、大きな影
響を与えるのです。
 
△万学の女王の転落
 このように科学の進歩によって人生観が変わって行きますと、科学と異なるものとし
ての哲学は存立の余地がないではないか、と云う考え方も成立します。
 実際、学問の歴史を見ますと、哲学は科学によって次第にその地位を奪われて来まし
た。昔は哲学は「万学の女王」の地位を占めていました。古代においても、中世におい
ても、哲学こそ最も価値高い学問と考えられていました。科学は哲学に従属しており、
或いは寧ろ哲学と云うものからはっきり分化していませんでした。
 ところが、近世になって自然科学が発達して来ますと、事情がすっれ変わり、諸科学
は次々と哲学から独立して行きました。
 
△自然科学の独立
 古代や中世では、自然研究は哲学の一部でした。そこでは自然を擬人的に考察したり、
自然の奥に神の力があると考えたりなど、自然研究のうちに哲学的な考え方が入り込ん
でいました。
 近世になると、自然研究は最早全く哲学的な考え方を捨てて、ただ自然現象が事実ど
う云うあり方で存在するか、と云うことを研究しました。
 そして自然研究は、自然科学へと変わって行きました。それは哲学からの独立を意味
しました。
 既にカント(1724〜1804)は、かつて万学の女王と云われた哲学に対して、今ではあ
りとあらゆる軽蔑を示すことが時代の流行となった、旨のことを述べています。
 
△諸科学の独立
 自然科学が目覚ましい発展を遂げたことに刺激されて、やがて社会現象・心理現象な
どに対しても、科学的研究を行おうとするようになりました。
 『国富論』を著したアダム=スミス(1723〜1790)の経済学も、やがて哲学から独立の
科学となりました。
 コント(1798〜1857)は社会現象を科学的、実証的に研究することが必要であると説
き、それによってやがて社会学が科学として成立しました。
 哲学と密接に結び付いていた心理学も、ヴント(1832〜1920)などによって実験心理
学として確立し、科学として独立して行きました。
 このように諸科学が哲学から次々と独立して行きましたので、哲学の中でも、哲学の
なすべきことはただ論理学的な研究だけだ、と考える人も出て来ました。
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