41a 歴代天皇
 
 43 元明ゲンメイ天皇
 
 奈良前期の女帝。天智天皇の第四皇女。草壁皇子の妃。文武・元正天皇の母。名は阿
閉アベ。都を大和国の平城(奈良)に遷し、太安万侶オオノヤスマロに古事記を撰ばせ、諸国に
風土記を奉らせた。
(在位707〜715)(661〜721)
 和銅ワドウ 皇紀1368 AD 708
 
〔神皇正統記〕 第四十三代、元明天皇は天智第四の女、持統異母の妹。御母蘇我ノ嬪
ヒメ。これも山田石川丸の大臣の女也。草壁の太子の妃、文武の御母にまします。丁未
ヒノトヒツジノ年即位。戊申ツチノエサルに改元。三年庚戌カノエイヌ始て大倭ヤマトの平城ヘイゼイノ宮に都を
さだめられる。古には代ごとに都を改アラタメ、すなはちそのみかどの御名ミナによび奉りき。
持統天皇藤原宮にまししを文武はじめて改めたまはず。此元明天皇平城にうつりましま
ししより、又七代の都になれりき。
 天下を治給こと七年。禅位ゼンイありて太上天皇と申しが、六十一歳おましましき。
 
 44 元正ゲンショウ天皇
 
 奈良時代前期の女帝。草壁皇子の第一王女。母は元明天皇。名は氷高ヒダカ。
(在位715〜724)(680〜748)
 霊亀レイキ 皇紀1375 AD 715
 養老ヨウロウ 皇紀1377 AD 717
 
〔神皇正統記〕 第四十四代、元正天皇は草壁の太子の御女。御母は元明天皇。文武同
母の姉也。乙卯キノトウノ年正月ムツキに摂政、九月ナガツキに受禅ジュゼン、即ソクの日即位、十一月
シモツキに改元。平城宮にまします。此御時百官に笏シャクをもたしむ(五位以上牙笏ゲシャク、
六位は木笏モクシャク)。
 天下を治給こと九年。禅位の後二十年。六十五歳おましましき。
 
 45 聖武ショウム天皇
 
 奈良中期の天皇。文武天皇の第一皇子。名は首オビト。光明皇后とともに仏教を信じ、
全国に国分寺・国分尼寺、奈良に東大寺を建て、大仏を安置した。
(在位724〜749)(701〜756)
 神亀ジンキ 皇紀1384 AD 724
 天平テンピョウ 皇紀1389 AD 729
 天平感宝テンピョウカンポウ 皇紀1409 AD 749
 
〔神皇正統記〕 第四十五代、聖武天皇は文武の太子。御母皇太夫人クワウタイブニン藤原の宮
子ミヤコ、淡海公不比等の大臣の女也。豊桜彦トヨサクラヒコの尊と申。おさなくまししによりて、
元明・元正まづ位にゐ給き。甲子キノエネノの年即位、改元。平城宮にまします。此御代大オホキ
に仏法をあがめ給こと先代にこえたり。東大寺を建立し、金銅コンドウ十六丈ヂャウの仏ホトケ
をつくらる。又諸国に国分寺コクブンジ及国分尼寺コクブンニジを立て、国土安穏アンヲンのために
法化ホッケ・最勝サイショウ両部の経を講ぜらる。又おほくの高僧他国より来朝す。南天竺
ナンテンジクの波羅門バラモン僧正(菩提ボダイと云)、林邑リンオフの仏哲ブッテキ、唐の鑑真和尚
カンジンワジャウ等是也。真言シンゴンの祖師、中チュウ天竺の善無畏三蔵ゼンムイサンザウも来キタリ給へり
しが、「密機ミッキいまだ熟せず。」とてかへり給にけりともいへり。此国にも行基ギャウキ
菩薩・朗弁ラウベン僧正などの権化人也。天皇・波羅門僧正・行基・朗弁をば四聖シシャウとぞ申伝
たる。
 
 此御時太宰少弐ダザイノセウニ藤原ノ広継ヒロツグと云人(式部卿シキブキャウ宇合ウマカヒの子なり)
謀叛のきこえあり、追討せらる(玄方(日偏+方)ゲンボウ僧正の讒ザンによれりともいへ
り。仍霊リャウとなる。今の松浦マツラの明神也云々)。祈祷のために天平十二年十月カンナヅキ
伊勢の神宮に行幸ありき。又左大臣長屋王ナガヤノワウ(太政大臣高市王タケチノワウの子、天武ノ
御孫なり)つみありて誅チュウせらる。又陸奥ミチノクノ国より始て黄金ワウゴンをたてまつる。此
朝テウに金コガネある始なり。国の司ツカサの王、賞ありて三位に叙す。仏法繁昌の感応カンオウな
りとぞ。
 
 天下を治給こと二十五年。天位を御女高野姫タカノヒメの皇女にゆづりて太上天皇と申す。
後に出家せさせ給。天皇出家の始也。昔天武、東宮の位をのがれて御ぐしおろし給へり
しかど、それはしばらくの事なりき。皇后光明子クワウミャウシもおなじく出家せさせ給。此天
皇五十六歳おましましき。
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