神様の戸籍調べ
四十七 少彦名神スクナヒコナノカミ
戸籍抄本
出雲国多芸志小浜の御住
少彦名神 亦名小名牟遅神
御父 神産巣日神
御兄弟 天御食持神
同 生玉命 大阪に御分家
同 伎佐貝比売命 女医の元祖
同 宇武岐比売命 々
右古事記、日本書紀に照合して確実也
戸籍吏 古木文也 印
この神は、神産巣非神カミムスビノカミの御手の俣マタから御生れなされたと云ふ、極小さい神
様で、初め朝鮮国を御統治なされてゐたが、後に大国主命オホクニヌシノミコトが日本を御平定な
さるるとき、どうか御相談相手として、神の御子が来て欲しいとの事で、舟に乗って出
雲に御出になった。そして日本海の荒涛アラナミの中から、「オイオイ」と大国主命を御呼
びになったの。多芸志タギシ小浜オハマに大国主命が出て御覧になるとピカピカ光った神様
が、海中から飛上って、大国主命に飛びつかれ、「少名彦神である」と御名乗上げにな
ったので、大国主命も安心して、兄弟の誓チカヒを結び、国土を経営せられた。そして、此
神は非常に禁厭マジナイが上手な上に、医薬の道に秀でゐられた。出雲朝廷建設に大功あっ
た上に、非常に賢明であったがその後は、常世トコヨの国に渡りなされ、海を司られたとも
云われるが、しかと解らない。
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