神様の戸籍調べ
 
四十八 衣通姫ソトホリヒメ
 
 日本で美人の名高き方に、衣通姫がある。この姫は和歌に秀でられ、又その花顔クワガン
玉の如く、窈姚エウチャウの姿は柳の如く、御玉の膚は輝くやうで、水晶の勾タマを薄羽重で包
むだと譬タトふるも及ばない程の美人なり、允恭インギャウ天皇の皇后大中姫オホナカヒメの御妹君
である。常々天皇は、この姫をと御望みなったてゐたが、其機会がなかった。
 ある時、新御殿が建ったので、天皇皇后は大祝宴を催され、御親オンミヅカラ琴を弾ダンじ、
皇后は立って舞なされた。その頃は、舞宴終るとその舞った人から、座の一番上長の人
に、娘子を奉りましゃうと申す習慣があったので、皇后の舞の終った時、天皇は御心待
ちなされたが、皇后は礼詞を申されなかった、と云ふのは、自分の妹が美しいので、若
しこの妹をすゝめては、御自分の愛の減ずるを心配してである。天皇も御不快に思し召
し、強タッて、又舞を乞はれたから、今は是非なく、舞終って妹を奉らんと奏せられたの
で、天皇大に喜び、勅使を御遣しになると、衣通姫は、御姉君の怒イカリをおそれて、近江
国阪田に逃れてゐられた。そして、心やさしき姫は、蜘蛛クモの様子などを見ては、今宵
は恋ふる夫の来るべき夜ぞなどと、和歌に心をやりて、乙女心の悩みをもだえてゐた。
勅使の中臣舎人ナカトミノトネリ烏賊津臣イカツオミは七度も御迎に行ったが、姫はきかれないので、
一日一夜も飲も食はずに、門で色よき返事を待ったので、姫もやっとこまかせで御承知
なされ、都に登って天皇の御妃オンキサキとなられたと云ふ。
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