神様の戸籍調べ
 
四十四 須佐之男命
 
 伊邪那岐の大神の御子にして、日の神の御弟君の尊き方にてあり乍ら、心からと申し
乍ら、そのいづれにも住むことも出来ず、自ら造りし罪を背負つゝ、出雲と云ふ処に御
出になった。そして肥の川と云ふ大きな川の堤をば、彼方此方と御歩きになって、つく
づく変る吾身を御なげきになって御在になると、ふと、川上から一本の箸が流れて来た。
 「箸だ、箸であってみれば、必らず此川上には人が住むでゐる筈である」
とて、川に沿ふて御上りになると、大きな木陰に、美しい一人の娘を中において二人の
親らしい、年を取った者が泣いてゐる。須佐之男命は不審に思し召して、
 「御前達は、何故泣いてゐるのか」
と御尋ねになると、二人の翁媼オウナは涙乍らに交々語るやう、
 「是は是は誰様か存知せねど、我々共は、足名椎アシナヅチ、手名椎テナヅチと申すものであ
ります、是れなる娘は、櫛稲田姫と申す、私共の末の姫でありまするが、八年前から、
高志タカシの国から八俣ヤマタの大蛇ヲロチと云ふ者が来て、年々に一人宛私共の娘を喰べて終
ひ、八人の娘達の中、七人迄は、とられて終って、今残る此一人の姫も亦、此年来て喰
べる番であります。最早や老たる私共の、杖とも柱とも頼む此一人の愛娘マナムスメも、今や
又取られると思へば、悲しくて悲しくてかくは泣いてゐるのです」
と恐る恐る申し上げた処、勇壮活発の須佐之男命は、
 「えッ!八俣の大蛇が来て、左様な悪い事をするのか、よしッ退治してやらう、安心
せよ」
とて、是から大蛇を退治なさることになった。この大蛇は、頭八つにして眼の輝くこと
日月の如く、背には杉桧など生え、その長さ八山セン八谷コクに亘り、腹は地に摩れて血に
まみれ、無類の酒好きであるとの足名椎の説明を聞かれ、然らば、その退治策もかくせ
んと、八つの瓶に香の高き、最も強い酒を入れ、その八つの瓶を、八つの座敷に据えて、
垣を廻ぐらし、その座敷毎に別々なる門を作られた。用意はかくて出来上った、先づ大
蛇来らば、一撃に打殺ろさむと待ち居られた程もなく、天地もおどろに曇り、醒風セイフウ
惨サンとして、山に谷に鳴りひゞき、轟々ガウガウたる大音響と共に、大蛇は来たのである。
見よ見よ真暗き天地の間に、輝く目玉の光り、いとも怪しき光りである。
 
 八俣の大蛇は、来て見ると姫は居ないが、先づ臭ふ酒の香に、姫のことを忘れて酒を
呑まんとした。大蛇は直ぐ八つの頭を、八つの門から差し入れて、八つの酒瓶の酒をグ
イグイと呑み出した、酒は命ミコトと翁媼が丹精して造った美酒であるから、甘い事此上も
ないから、大蛇は遂に八つの酒瓶を空にして終った。流石酒、呑めば酔ふは常で大蛇も
大に酔ひつぶれて、八つの頭をそろへて、嚊イビキをしながら寝込むだ様子、見透して須
佐之男命は、時分はよしと抜足、差足、忍足、漸次と八俣の大蛇の頭元に忍びより腰の
秋水抜くよと見えて、紫光シクワウ一閃イッセン、忽ちその剣からは毒々しい血汐が滴った。八
つの首はころりころりと落ちて、のた打ち廻る大蛇は遂に死むだ。命ミコトは、この奴が七
人も姫を喰ったのかと大蛇をずたずたに斬り刻まれると、尾に及び、カチリと音がして、
命の剣の刃が欠けた。さては何かあるであらうと、不思議に思し召して、其所を裂いて
御覧になると、立派な名剣が出た。
 
 つくづく眺め給ひし命は、是は稀代の名剣である。成程、あの大蛇が居る所には、叢
雲が棚引いて居たのはこの名剣の威霊に依ったものであらう。叢雲ムラクモの剣と名づけや
うと、この剣を叢雲の剣と名命遊ばされ、姉神の天照大御神に御詫びの印として、淤美
豆怒神オミヅヌノカミの御子天冬衣神アメノフユキヌノミコトをして高天原に献上せられた。
 そこで須佐之男命は、かの翁媼オウナに対って、御前の家はどこで、系図はあるかと御問
になると、
 「はい、私どもの戸籍抄本は茲に御座ります。家柄は決して恥ずかしいものでもなく、
国つ神でなく、元を正せば天つ神、伊邪那岐、伊邪那美の神の孫に当りますが、父が山
を支配いたしますので、国つ神同様、国土に降りて、今はこの出雲の簸ヒの川カハに住って
ゐます。
 
足名椎アシナヅチの戸籍抄本
  戸主 脚摩乳(足名椎、後の須賀宮司) 亦名稲田宮主須賀八耳神
   妻 手摩乳
   娘 櫛稲田姫
   他 七人
 父 大山津見神
 
とあったので須佐之男命は、
 「してみると、大山津見神の子であるが、大山津見は私共の弟で、日向にゐる筈であ
る。私は殊に近い血統の甥ヲヒになるのじゃ。すると、かく血統も正しき上は、櫛稲田姫
クシイナダヒメを妻に貰い度い」
との仰せに、一家は非常に嬉び、足名椎アシナヅチは申すやう、
 「是は是は重ね重ねの有難さでありまする。此間も手前の妹木花開耶比売は天孫に御
嫁ぎ申して名誉の至極でありまする。尚ほ此上共に、私の妹も共に御嫁りを願ひます」
とて、木花知流姫神コノハナチルヒメカミ、大市比売オホイチヒメの二人を、日向の父大山津見神に申遣
ると大賛成して呉れて、ここに、須佐之男神は本妻に櫛稲田姫クシイナダヒメを遊ばされ、二
人のかたを妃とせられた。そして出雲国大原郡須賀スガと云ふ処に、大きな御殿を御建て
遊ばされ、櫛稲田姫と共に御住になったが、この折沢山の雲が御殿を閉ざしたので、命
ミコトは美しき妻の手をとりて感に堪へず、
 「八雲クモ立つ出雲イヅモ八重垣妻ごめに、八重垣つくる其八重垣を」
と御詠じになった。これが日本最初の和歌で、三十一文字の歌は、実にこの英雄無類の
須佐之男命が最初であった。武事に長じ文事に達し給ひしこの命は、最初は随分乱暴で
あらせられたが、次第に御本心に立返らせ給ひ、今は夫婦も仲もよく、出雲辺を御平定
なされ、次で朝鮮等にも出御遊ばされ、その威勢おさおさ並ぶものもなかった。
 
 そして沢山の御子達が生れなされた。そして、大国主命オホクニヌシノミコトに出雲の御経営を
御任せになる迄には、幾代を経たことは云ふ迄もない、大国主命は実にこの命神の御血
統で、一説には御子孫であると云ふ。
 この神様は朝鮮を御航通なされて、海運の便を御計りになったと云ふが、一般に、農
業及び養蚕の神様として祠マツるのである。それは、此命が高天原から姉大御神や八百万
神々から追放された砌ミギリ、大層腹が空いて堪らないので、大気津比売命オホゲツヒメノミコトと
云う神に食物を乞はれた、すると、此神が口や鼻や尻から、種々の食べ物を出して、須
佐之男命に進め参らせると、命は、高天原を追ひ払はれて、おまけに爪や髭ヒゲまでぬき
とられたと云ふ、腹立まぎれの折であったから、
 「何だ、こんな穢ケガれたものが食へると思ふか」
と非常に怒って、即座に大気津比売命を切り殺ろしなさると、あら不思議や、頭からは
蚕が生れ、両方の目からは稲の穂が出来る、そして耳からは粟が生えて来る、鼻から小
豆が出来る、お臍ヘソの下から麦が出てくるやら、尻の穴から大豆が出来て来たと云う事
が古事記にあるので、そこでこの神を農蚕の御神として崇めるが、この色々出来た、新
しい農産物を御まとめになって種子とせられたのは、神産巣日御祖神カミムスビミオヤノカミであ
ったと云ふ。
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