神様の戸籍調べ
 
四十三 大国主命
 
 ここに於て、先きに御結婚なされた、稲羽イナバの八上比売ヤカミヒメは、大国主命が無事に
出雲に御帰りなされたと聞いて、喜んで御殿に御出になると、豈図らんや須世理姫と云
ふ方が御本妻になって、他の女の来るのを見ると、目を丸く輝かして白眼ニラまれるので、
そこで二人の仲に出来た可愛い御子を、木の股に挟むでおいて、御帰りになった。此御
子が木股神キノマタガミとも御井命オイガミとも申し上げる方であった。
 
 此大国主命は、非常に好男子であったから、到る処で姫達に好かれた。その挿話とし
て次のやうな伝説がある。このやうに大国主命は上代第一の色男であらせられたので、
散々出雲で若い女達に好かれた結果、女同士で命ミコトを中心として、凄い程の嫉妬喧嘩が
始まったので、これは堪らないと朝鮮の方に御逃げなった。すると又朝鮮でも大国主命
は非常に大持であったので、若い娘達はわいわいと騒ぐ、大国主命は手当り次第に発展
なさるので茲で又、御互同士の間に於て喧嘩が始まった。大国主命は困って、又日本に
御帰りになると、それッと朝鮮女が沢山熱心な態度で跡を追って来た。丁度其折は、大
国主命は越後国頚城郡に、沼河比売ヌナカハヒメと云ふ美人があったのでここに御出になって
ゐた。始め大国主命は、沼河比売の家を尋ねて戸の外から、姫よ恋しとの歌を御詠みに
なると、姫も戸をあけずに、返し歌よまれた。それは、浮気な大国主命の心を試し見む
とて明る夜を契チギった歌であったから、大国主命は、その翌晩も亦御出かけになった。
漸くこの二夜の通ひ路で御夫婦の交りが出来て、仲良く御暮らしになってゐる処に、朝
鮮から沢山の女が命を追かけて来て、色々極める込むだので、大国主命は面食って美濃
から遂に尾張の名古屋に御出でになり、間もなく出雲に御帰りになって、そっと隠れて
ゐられる、かくとは知らぬ朝鮮女共は、一生懸命に名古屋に又々追っかけて来たが、命
は既に出雲に帰り隠れてゐられたので一向行方が解らないので、大層落胆して、皆男の
薄情を恨み、相談の上で、
 「是から、凡ての男には真実の情を尽さなくてもよいことにしやう、そして、鈍間ノロマ
な男達を欺してやりましゃう」
と決議したから、其子孫の名古屋女は薄情であると云ふ伝説である。
 
 さて大国主命は、かく到る処で女に大持てと云ふ方であるから、須世理姫スセリヒメは、焼
けて焼けて叶はない、色々嫉妬の口説が多いので、大国主命も流石閉口なされ、大和国
地方に、妻の鋭鋒をさけむと思し召し、馬を用意して、御身支度もそこそこに、片手に
鞍クラに片足を鐙アブミにかけ乍ら、須世理姫に向ひ、
 「暫し別れる、美しき妻よ、山にも海にもなつかしけれど、暫し別れん、吾が妻よ、
汝の泣かんは心うけれど、暫し別れん」
と、流石別れ路の、夫婦の情けある歌言に、姫も馬をひきとめ、酒盃を捧げて立より給
ひ、返し歌して、
 「美しき吾が夫様よ、去りまさば、厚き衾フスマも独りねの、如何にせん、女身の、今更
乍ら恥しき、この酒を飲みてぞよせや大和行き、笑ひてゐませ吾が夫ツマよ」
と、涙と共に命の頚に手をかけて引きとめられたので、御仲も直り、御夫婦仲よく御暮
らしになった、御殿に帰り、更に多紀理比売タキリヒメをも娶られて、今度は嫉妬もなく、阿
遅且(金+且)高日子根命アヂスキタカヒコネノミコト、妹イモ高比売命タカヒメノミコトなどを御生みなされ、
更に神屋楯比売カミヤタテヒメをも娶られて、事代主命コトシロヌシノカミを生み、其他沢山の妃キサキをお
いて御子を沢山生まれた。妃稲羽八上比売から木股神、妃多紀理比売から高日根神や下
照比売、妃神屋楯比売から事代主神、妃女鳥耳から鳥鳴海神が生まれるなど、その他幾
人あったか解らない程で、この中に、鳥鳴海神トリナルミノカミの系統がずっと続いた。
 
 大国主命が此国土を治めになるのは、一人の御力ではない、少彦名命スクナヒコナノミコトやそ
の他御子の事代主神コトシロヌシノカミなどが大に御尽力なされたことは言ふまでもない。斯くし
て、大国主命の出雲朝廷は非常なる勢力で発展して、実にその熾サカンなることおさおさ高
天原に似てゐたが、天照大御神は、この瑞穂国ミヅホノクニは天孫の世々支配すべき国である
と御定めになったので、色々御相談の結果、天穂火命アメノホヒノミコトと云ふ方が第一回の全権
大使として、国土献上すべき旨を大国主命の処に伝へに来たが、余りに勢力の偉大なる
に驚ろき、大国主命に媚コびて三年になっても、還って御報告しない。一方高天原では、
その復命を待ちに待ったが三年も返事はなかったので、第二の全権大使として天津国玉
神アマツクニタマノカミの御子天若日子アメワカヒコを使とせられたが、此方も亦大国主命の姫である下
照比売シタテルヒメと結婚して、八年も復命しないので、これではならぬと、剛勇無双天上天
下の大勇士、伊都之尾羽張神イツノヲハリガミの御子建御雷之男神タケミカヅチノヲノカミと、副使として
天鳥船神アメノトリフネノカミとが、共に出雲朝廷に出かけた。
 
 建御雷神及び天鳥船神は、出雲国イヅモノクニ伊那佐イナサの小浜に着し、先づ浪間に十拳トツカ
の剣を逆立て、その前に趺座フザして、大国主命に一大談判を開始し出した。大国主命は
今度は大分骨の折れる神であるなと思ってゐると、
 「天照大御神の御使じゃぞ、神妙に承られよ。今汝の治むる日本国は、天孫の永く知
し召すべき国であるぞ、どうだ無事に献上するかどうじゃ」
と言はれて、温厚なる大国主命は、
 「はい、私は自己の一存で申し上げる訳には参ゐりませぬから、息子の事代主と相談
してから御返事申します、丁度息子は大御崎で魚を釣ってゐますから、帰りましたなら
ば申し上げます」
と返事の折しも、事代主命コトシロヌシノミコトは帰られたので、大国主命がこの事を相談なさる
と、
 「其はその通り、天孫の御勅命通りがよからうと思ひます」
と言ったので、
 「息子は承知しました」
と御答になると、建御雷神タケミカヅチノカミは、
 「他に御子達の中に、異議申たつるものはないか」
と尋ねられたので、
 「一人建御名方と申す、腕白者があります、此外は別に異存は無いと存知ます」
との事で、遂に、此建御雷神と建御名方神タケミナカタノカミと、色々争論して、力競べなどせら
れたが、最後には閉口して終って、
 「父や兄の命に従って、日本は天孫に献じます」
と申したので、茲で凡ての談判は片づき、そして大国主命には日本国中にて、天孫の御
住のやうな御殿を建て、最も富める土地を与へ、その子事代主神以下悉く天孫に奉仕す
るの約束にて、茲に目出度く、高天原と出雲朝廷と御授渡ウケワタシがあり、出雲国の多芸志
タゲシの小浜コハマに大社を築かれて、茲に大国主命御一家は御隠居になり、太膳職ダイゼンシキ
には水戸神の孫八玉神ヤタマノカミがうけもたれることとなった。
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