神様の戸籍調べ
 
四十三 大国主命
 
 既に先着の八十神達は、吾れこそはとばかり、襟を正すやら、髪を手入れするやら、
気取って、それ智慧ぞ、勇気ぞ、金持ぞ、それ男前ぞと、勝手に己惚れを並べて、姫の
心を引きつけやうとしたが美しい姫の心は、顔のやうに美しい玉の如き方であったから、
その手には乗られない。
 「成程貴方様方は御偉い方々でありましゃうが、妾ワタシのやうな不肖フシャウなものは、と
ても参ゐる訳にはなりませぬ、御気の毒ではありますが此縁談は御断りの外はありませ
ん」
ときっぱり断られたが、一番後から重い荷物を担いで来られた大国主命を御覧になると、
 「此方は、賎イヤしい風をしてゐられますが、実に立派な御方であると見込みました、
兄様達は、大層立派な様子をしてゐられても、御心持ちに好きません。妾はこの御方と
夫婦になります」
と八上比売ヤカミヒメは遂に、大国主命オホクニヌシノミコトと御結婚せられた。納らぬは振られた八十
神ヤソカミ達である、憎い憎いと思ふ大国主命が思ひに思ふた八上比売と結婚したのを見て、
矢も楯も堪らなぬ程に怒り出し、相談の結果、大国主命を殺ろしてやらうと考へ出し、
色々思案の上、大国主命は生正直であるから、一つその生正直な処を利用して殺ろそう
と、或る日のこと、伯耆ハウキの手間山に狩りの砌ミギリ、大国主命に向って、
 「此上には、赤い大猪が居るから、己達がそれを追ひ出すから、御前は山の下に居て、
其奴を引捕へろ」
と命令したので、兄様達の命令は何事もよく聴かれた大国主命は、「はい」と承知して、
今やおそしと山下に仁王立ち遊ばされてゐると、忽ち起る矢声ときの声、ワァーッと云
う八十神達の叫びにつれて、山上より狂ひ下る一匹の大猪、赤くしてさながら火の如く、
顛コロガり落って来た、「それッ」と大国主命は、「ヤッ」と云ふ懸声諸共に抱き付かれ
たと共に、命ミコトは忽ちの大火傷を全体にうけて、焼け死んでしまはれた、実にその赤猪
とは真赤な嘘で、実は命が生正直をつけ込むで、殺ろさむと企むで、八十神達が焼きに
焼いた猪に似たる石であったのである。あゝ大国主命は遂に死なれたのであるが、命の
母神は悲み、天つ神々に願ひ、再び活き変らして下った。そして大国主命は、前とは変
りなく、寧ろ立派な神形をなされて、八上比売と御暮らしになるので、
 「おやおや死んだと思ふた大国主が、こんなに暮らして居やうとは、今度は又と再び
生き復カヘらぬ様にして殺ろそう」
と、悪い八十神達は相談して、或る日、深い大きな山につれ出し、大樹を裂いてその口
に楔クサビを嵌ハめておき、この裂口サケクチに大国主命を這入らせる、ピョィと楔をとった
ら、ピシャンと凄い音をして裂口が閉じると倶に、ウンとも言ずはに大国主命は滅茶苦
茶につぶれて死むで終ふた。
 「是れで生復る筈はない、安心じゃわい」
と八十神達は大喜びしてゐられると、再び母神は是を知り、
 「大変なことをした」
と泣乍ら、木の裂目から大国主命を引出し、天の神々に願って、活き返へらせた。八十
神達は驚ろいて、
 「ヤレヤレ悪運の強いはあの大国主じゃ、今度は遠矢トオヤで射殺ろそてやれ」
と力一杯に弓引絞られたが、母神は、すばやく木陰に命ミコトを隠れさせ、そっと木の股か
ら逃げて、根の堅洲国カタスクニと云ふ、即ち出雲国の須佐之男スサノヲの神の許に、大国主神を
送らせた。
 
 幾度の危険に、大国主命は母神の慈ナサケ染シみ染ジみ有難く、暫シバシ、妻八上比売ヤカミ
ヒメと別れて、出雲イヅモ須佐スサに、須佐之男命を尋ねて御出になった。すると、どこ迄も
女に好かれる大国主命は、ここでも須佐之男命の姫神である、須世理姫スセリヒメと云ふ方に
好かれて、遂に内々御夫婦になってゐられた。すると、父の須佐之男命は、此れを御知
になって、一つその胆力タンリョクを試験せなければ承知が出来ないと、先づ蛇の室に今夜は
寝よと御命令になった。
 
 大国主命は、さきには、兄八十神ヤソガミ達の無惨至極なる迫害に遇ひ、今亦逃れ来たる
この堅洲国カタスクニにても、かゝる気味悪るい御命令に服従せねばならぬ御自身の運命を思
ひ廻らして、暫シバシ涙の雨あられ、さてさて不運の程を思ひ考へつつ兎やせん角やせん
と思ふ折しも、妻の須世理姫が来て、蛇の領巾ヒレと云ふ蛇退治の布を呉れましたから、
安心してその夜は蛇の室に寝られた。須佐之男命は、今度は蜂と蜈蚣ムカデの室に寝よと
仰せられた。又もや須世理姫は、蜂と蜈蚣の領巾を渡されたから、又もや御無事で、明
る朝、「御早ふ御座ひます」と須佐之男命に挨拶せられると、流石の須佐之男命も、大
層感心せられたが、今度は更に難しい大問題を御命令になった。それは、広い広い野原
の中に鏑矢カブラヤを射って、「それあの矢を拾って来よ」と言ひつけ、命ミコトが野の草繁
ひ茂る中に走り込むで索タヅぬるを見済して、程を見計ひ、四方から火を放って焼き立て
られた。前門の虎を防フセゲば後門コウモンの狼現はるる、如き入り変り立変る災難の襲来に、
流石の大国主命も、最早かばかりの大火に、殊に四方から燃え迫るのを見て、到底助か
らぬものと思し召してゐられると、脚下に走り来た一匹の鼠が、
 「外はスブスブ、内はホラホラ」
と言ったので、是は何かの知らせであらうと、その脚下を蹈フめば、ゴボリと穴があいた
から、
 「是がホラホラだなァー、よしッこの洞穴ホラアナの中に隠れてやりましゃう」
と、洞穴に身を容れてゐられると、火はスルスルと穴の外を過ぎて畢シマった。然し、大
事の鏑矢がないので心配してゐなさると、先の鼠が一本の矢を咋クハへて来た。たゞその
矢羽は子鼠達が喫クヒ切ってゐたのを受取って、須佐之男命が娘の須世理姫を連れて野に
立ってゐられたから、即ち矢を捧げられた。須世理姫は夫の命ミコトは焼死なされたことと
思って、喪服など来て哭ナゲき悲むでゐられたが、今無事なる夫の顔を見て非常に御喜び
になった。一難過ぎて又一難来る。今度は八田間ヤダノマの大室オホムロに喚ヨび入れて、
 「御前は仲々偉いね、どうだ一つ私の頭の髪の間にゐる虱シラミを取って呉れないか」
と御仰ったから、取らうと思ふて見ると、是は是は虱にはあらで、大きな蜈蚣ムカデがウ
ジャウジャゐるので、大国主命も閉口してゐられると、そっと小蔭に妻の須世理姫が手
招きせられるから何事ならむと立寄ると、
 「さぞ御迷惑でしゃうね、これを上げますから」
と、赤土と椋ムクの実とをお渡しになって、目顔で早くと知らせられたから、合点して、
蜈蚣を取るやうな風をして、椋の実と赤土とを咬み合せて吐き出すと、丁度蜈蚣を咬む
で吐き出したやうに見えるので、須佐之男命は、
 「なんと、何をさせても此人は忠実にする奴じゃ、感心な奴じゃわい」
と心に思し召すと、ついウツラウツラと眠気がさして、遂に寝込んでおしまひになった。
 
 後から後からと限りなき無理難題に、大国主命も困り果て、須世理姫と相談して、此
隙に逃やうと、先づ、須佐之男命の頭の髪を、椽エンに一々結び着け、大きな石を寝てゐ
られる室の戸に押しつけておいて、それから、須世理姫を背負ひ、父神の大切にしてゐ
られた、生大刃イクタチ、生弓矢イクユミヤ、及び天の詔琴ノリゴトとの三品をとって、須佐之男命
の御殿から一散に出奔せられたが、余り狼狽アワテなさったものか、詔琴の絃イトが樹の枝に
触って、ビンゴロンと大地にも響くばかりの音を出して鳴ったので、今迄よい心地で寝
てゐられた、須佐之男命は駭オドロき目覚めて、「ヤレ」と起上がると、髪の気が一本一
本椽に結びつけられてあるから、大力無双の此命ミコトの力で、御殿が倒れて終った。仕方
がないから、一本一本髪の毛を椽から解いてゐる間に、大国主命はドンドンと逃げて行
く、漸くのことで髪の毛を解いてから、黄泉平阪ヨモツヒラサカ迄追ひかけ来り、遥に逃げてゆ
く命ミコトを呼んで、
 「御前は仲々感心じゃから、須世理姫スセリヒメは、今日から正妻にしてよろしい。そし
て、出雲国イヅモノクニ宇賀山ウガヤマの麓に、御殿を建て夫婦仲良く暮らせよ。御前の兄弟達
が悪者であるから、是からは、何にでも負けるな、生太刀イクタチ、生弓矢イクユミヤがあるか
ら、あれで山河に押し攻めて、追ひ撥って終ふがよい」
と茲に、初めて大国主命は須佐之男命の神勅を蒙り、出雲の国王となり、須世理姫を王
妃とせられ、今迄の大己貴オホナムチと云ふ名を大国主オホクニヌシと改名せられたのである。
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