神様の戸籍調べ
四十一 大山津見神オホヤマツミノカミ
戸籍簿
御本籍地 山形県東田川郡東村湯殿山神社
父 伊邪那岐神
母 伊邪那美神
第三十番ノ御子 大山津見神 ― 脚摩乳 ― 櫛稲田姫
木花知流比売神
磐長比売命
神大市比売
木花開耶比売命
大山津見神は、山を掌らせ給ふ男の神様で、伊弉諾イザナギ、伊弉冊イザナミの尊ミコトの御
子である。初め此神様は今の薩摩サツマの阿多アタの郡ゴホリに御住居あらせられ、御独りに
て、しかも、脚摩乳アシマツチ、木花知流比売コノハナチルヒメなどの五人を御作りになったが、御妹
の鹿屋野比売神カヤノヒメガミを御嫁様となされて、この間に沢山の御子が出来た。
茲で、兄妹の結婚に就いて申しておかう。今の世では勿論非倫であったが、当時は神
々も極めて少くあらせられたから、他の国ツ神などあり、国土のものなど思もよらない
ので、神々も仕方なく、御兄妹結婚遊ばされた。
そこで御兄妹結婚の結果八人の御子が生れられた。即ち、
父 伊邪那岐神
母 伊邪那美神
第三十番ノ御子 大山津見神
第三十一番の御子 鹿屋野比売神 ― 天之狭土神
国之狭土神
天之狭霧神 ― 遠津待根神
国之狭霧神
天之闇戸神
国之闇戸神
大戸惑子神
大戸惑女神
これである。
この大山津見神オホヤマツミノカミは、早くから方々を御征服になって、御威勢おさおさならぶ
ものもなかったが、御子達の御出世も大に其威勢を増した原因であった。それは木花開
耶比売コノハナサクヤヒメが天孫邇々杵命に嫁カせられたことで、この木花開耶比売の生れた方に
彦火々出見尊ヒコホホデミノミコトがあらせられる。そして此彦火々出見尊の御孫が神倭伊波羅毘
古命カムヤマトイハレビコノミコト即ち神武天皇であらせられるから、この大山津見の御神は、それか
ら引いて、天津日嗣の外曾祖父に当らせらるゝと云ふ尊い神様となった。
この木花開耶比売の天孫邇々杵命に嫁カしづかれるに就ては、面白い神話がある。
ある時天孫邇々杵命が、日向から薩摩方面に御巡狩の折柄、道の辺に一人の美しい姫
様を御覧になったので、御家来の方々に、あの乙女は誰で、何をしてゐる人であるかを
尋ねさせた。すると、家来の復命は、
「あの美しい姫様は、この地方を開拓なされ、日本の山々を支配してゐられる大山津
見神の第二女で、木花開耶比売と仰せられます」
と、詳しく報告であったので、そんなら大山津見神に相談して見やうと、天孫が右の旨
を物語り、是非姫を妃に立てたいと御仰せになると、大山津見神は非常に喜んで、早速
御長女である磐長比売イハナガヒメと倶どもに差し上げた。
処が、この磐長比売は、御妹御オンイモウトゴの木花開耶比売に較べてみると、非常に醜い
方であったから、天孫は磐長比売は御親御の家に帰され、美しい木花開耶比売とお暮ら
しになった、然し、木花開耶比売は美しいけれど、御命が永くあらせられず、是に反し
磐長比売は非常に御長命であったから、若し、醜いけれ共この磐長比売を御嫁取り遊ば
されたならば、天孫の御寿命は磐の如く、万代不易であったらうに、木花開耶比売を妃
とせられたから、花の散る如く、天孫の生命が御短くあらせられたと云ふ。
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