神様の戸籍調べ
四十 別雷神ワケイカヅチノカミ
戸籍簿
御本籍地 京都市加茂 賀茂別雷神社
別雷神 亦名分土神
御父 大山咋神 松尾神苑内祭神
御母 大綿津見神二女 玉依姫命 下鴨御祭神
御父君、大山咋命オホヤマグヒノミコトは大年神オオトシノカミと天和迦流美津比売アマチカルミヅヒメとの間
に誕生あらせられた方で、即ちかの須佐之男命スサノヲノミコトの御孫にあたらせらる。母君で
ある玉依姫命タマヨリヒメノミコトは大綿津見神オホワタツミノカミの御姫君オンヒメギミであらせられ、伊邪那
岐イザナギ、伊邪那美イザナミの神の御孫君とならせらるゝのであった。
ある時、この玉依姫が、山城の瀬見の小川の辺を散歩しながら、朝日に照る木々の葉
末の露、夕日に生えゆく水の行末など、静かに御覧なされ、鳥の声につれ詠ひ給ひ、虫
の鳴音につれてさゞめき給ふ折しも、丁度立ち給へたる小川の上方より、美しき丹ニ塗り
の矢が流れて来た。姫はフト御歌を止めてこれを眺められてゐたが、流れ去るもおしく
と思し召してか、拾ひ取り給ひ、御自分の床の傍に挿しておき、朝夕御覧あったが、ア
ラ・・・・不思議や、御懐妊あらせられた、この丹塗りの矢こそは、大山咋命の御霊代オタマシロ
であった。その御霊が姫に通ひ給ひて御妊娠、遂に玉も黄金も及び難き男児を生まれた。
これが、即ち別雷神ワケイカヅチノカミで、亦の名を分土神ワケツチノカミとも申し上げ奉るものであ
る。
尤も、この別雷神の御外祖父、即ち玉依姫タマヨリヒメの御父君を大綿津見神オホワタツミノカミとし
たことに就いて、異論がある。それは、玉依姫は神皇産霊神カミムスビノカミの御曾孫に当らせ
らるゝと云ふので、即ち玉依姫の父君を賀茂建角見命カモタケツヌノミノミコトの第二女であると云
ふ、それによると、此賀茂建角見命は、武勇絶倫の天神にあらせられ、山城国下鴨に御
住居あらせられた方で、かの後年、神武天皇が御東征遊ばされ、御苦心のあった時、熊
野から大和路の帰路に於て、八咫烏ヤタカラスとなって、皇軍を御導きなされたと云ふ。即ち
八咫烏はこの賀茂建角見命の御化身であったと言はれてゐる。して見ると、此の武勇絶
倫の神様の化身である八咫烏をそのまゝに、金鵄勲章を作ったのは、実に日本建国の武
事を物語るもので、他に類のない程、尊いものである、そして賢明なる考えであらねば
ならぬ。
此別雷神は、山城、丹波地方を開拓遊ばされた方で、御功蹟殊に高く、別して山城鎮
護の武勇を顕アラはし給ふこと度々で、其名遠近にひゞき、父君であった大山咋神オホヤマグヒ
ノカミと共に、実に山城丹波の文化上になくてはならぬ神様である。大山咋神は、素盞男神
スサノヲノカミの御孫であるから、別雷神は、かの神の御曾孫にあたらせらるゝことゝなる。
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