神様の戸籍調べ
 
三十二 伊邪那岐イザナギ伊邪那美神イザナミノカミ
 
 此二柱の神様の第一の長子は、大事忍男神オホコトオシヲノカミで、先づ十八の神々が生まれら
れ、それから風の神である志那都比古シナツヒコ、木の神である久々能智ククノチ、山の神である
大山津見オホヤマツミ、野の神である鹿屋野比売シカヤノヒメ亦の名は野椎神ノツラカミと云ふ四柱の神様
が御誕生になった。それから色々の神を御生みになった最後に、火之夜芸速男神ホノヤギハヤ
ヲノカミを生みになる時、母の伊邪那美神は子宮を焼かれて、非常なる御火傷を蒙られ苦ま
れて、反吐ヘドを御吐ツキになるやら、糞や尿イバリやを出して、七転八倒の痛ましき中に、
この反吐から金山彦カナヤマヒコ、金山比売カナヤマヒメの二柱と、屎クソからは泥安彦ハニヤスヒコ、泥安
姫ハニヤスヒメの二柱、並びに尿イバリからは水波能売神ミヅハノメガミ、和久産日神ワクムスビノカミの六
人の御子が御出来になったけれど、母女神は火傷遂に癒えやらずして神避カンサリますやう
になった。実に、御夫婦の中に生み給ふ島は十四、神参十五座の多きであったが、今や
御他界になったので、夫セの伊邪那岐の大神は、
 「あゝ吾が愛する妻は、遂に子の為に死したるか」
と、御枕辺にまろび給ふたが、今更詮方もなきまゝに、遂に出雲と伯耆ハウキとの堺なる比
婆山ヒバヤマに葬り奉られてから、この母神を火傷ヤケドさせ申したる火の神を一刀の下に斬
り殺ろし、その御剣オンツルギについた血が方々に飛び散って、色々の強い神々が出来た、
即ち八柱の神々が御出来になったのである。そして又、火の神の頭、胸、腹、陰部、左
右の手、左右の足からも神様が沢山出来た。
 
 さて、伊邪那岐神イザナギノカミは、今一度妻の伊邪那美神イザナミノカミを見んとて、黄泉国ヨミ
ノクニに追ひ行きなさると、伊邪那美神は神殿の騰戸アケドから出て、夫セの神を迎へ給ふた
故、
 「美しき愛イトしき吾妹神アギモコノカミよ。吾れ汝と作りたる国未だ作りあへず、宜しく復
た還りて共に棲み、国を作らうではないか」
と御物語になると、答へて、
 「あゝ、今少し来て下さる事が早いと、何とでもなるものを、今は口惜しいことには、
黄泉国ヨミノクニの食物を食って終ふたから、食ひ穢ヨゴれて、帰り度くも、明るい世界には
帰れません、然し乍ら遥々とこの遠い処迄、御尊来下さいましたから、何とか成らぬも
のか、今一度黄泉神ヨモツカミに相談して見ましゃう程に、私が往ってゐる間は決して、覗い
てはいけません」
と、黄泉神殿の奥深く御入りになった。待たるるよりも待つ身の辛さ、久振りに御対面
のなつかしさ、さては女神の首尾如何にと思ひ待ちあぐみて、伊邪那岐神は、左の髪に
差してゐられた櫛の男柱ヲバシラを闕ソぎて火を燭トモし、奥殿深く御捜しになると、黄泉御
殿ヨモツゴテンの奥の室に、伊邪那美神は、全身に蛆虫ウジムシ湧きて、仰向に寝たるまゝ、御
姿さへも将に潰れむばかりに腐りに腐って、御頭にも左右の手足にも、八つの雷神ライジン
簇ムラガり上って、火焔もの凄き程であったから、今迄の御なつかしさも、かかる姿の御
女神をみては、恐れ驚きて、流石の男神も逃げ給ふと、女神は大に怒り給ひて、
 「あれ程、帰りて告ぐる迄は覗き給ふなと御約束したにも拘わらず、浅間しき私の姿
を見つけ出して、恥辱チヂョクを与へなされたのは口惜しい」
といって、黄泉津醜女ヨモツシコメと云ふ、黄泉ヨモツの女鬼ヂョキに命令して、伊邪那岐神を追は
せられるので、男神は一生懸命御逃げになったが、何分女鬼のことであって、早いの早
いの、飛ぶ様で今にもとっつかまえられさうになったから、髪を飾って御出になった、
蔓カツラを取って御投げになると、これが一房の葡萄になると、食ふことに汚い醜女は、是
れ甘そうな果物じゃと、摘んで食ふ隙ヒマに、男神はドンドンと御逃げになったが、間も
なく葡萄が無くなると、又追っかけて、又々危難は身後シンゴに迫ったので、今度は左の
髪にさしてゐられた櫛クシを地上に御投げになると笋タカムナと云ふ筍のやうな甘い果物が地
上から生えたので、醜女は意地汚くも又それを掘って取って食ふので、好い具合と御走
りになるのを、伊邪那美神は、もどかしく思はれて、遂に八雷神ヤライジンを大将として千
五百の軍兵を率ゐて、伊邪那岐神の御跡から追撃された。
 
 流石の伊邪那岐神も困じ果て、遂に佩剣ハイケンを抜き給ひて、後手に打ち振り振り足と
手と根コンとのつゞく限り走りに走り、馳カケに馳カケられて、黄泉ヨモツと此明るい世界との境
にあたる黄泉平阪ヨモツヒラサカの処まで漸々ヤウヤウ御逃げになると、ホッとつき給ふ呼吸つきも
敢ず、又々追ひすがる千五百の女神の追軍、とやせんかくやせんと、非常に御苦心の折
しも、平阪の下に一本の大きな桃の木があって、枝もたわわに生ってゐたので、乃ち是
をとって投げなさると、不思議や、敵軍は一縮みに縮み上って逃げて終ったので、女神
は大に怒り給ひ、
 「言ひ甲斐なき者共かな、いでこの上は妾ワラハ親ミヅカら出で追はん」
とて、伊邪那美神は、男々しくも御自分で御出かけになったから、伊邪那岐神は、これ
は堪らんと、万引岩チビキイハを、黄泉平阪の真中に据えて、この世と黄泉国ヨモツクニとの往来
の道を塞フサがれたから、阪の下まで追ひすがられた伊邪那美神は、今は仕方もなく、
 「貴神アナタが左様なことをなさるなら、明るい世界のものを、日に千人づつ絞クビり殺
ろしてやりますよ」
と怒りまぎれに御仰ると、伊邪那岐神は、
 「そうか。御前の処で千人絞クビり殺ろすなら、私の方では一日千五百人宛生んでやら
う」
と仰って、絶縁辞コトドを言ひ渡して、夫婦の縁を御切りになった。
 
 伊邪那岐神は、黄泉国ヨモツクニの穢ケガれを洗ひ清めんと、方々の水の綺麗な処を御捜し
になった結果、日向国ヒフガノクニ橘タチバナの小門オドの阿波岐原アハギハラと云ふ、よい処を見つ
けて、すっかりと御体をお洗ひになる。所謂イハユル禊祓ミソギである。先づ御杖を御なげに
なると、忽ち一人の神様が出来る。次に御帯、御着物、御褌、御冠、御手纏オンテマキにつけ
てゐなさるものから、一つゞつの神様が出来た。
 全裸マルハダカになられた伊邪那岐神は、上の方は瀬が速すぎるし、下の方は瀬が弱すぎ
るからと、中程に這入って、水を蒙って体中の垢アカを洗ひ落されると、死人の国でうけ
た穢ケガレの垢が神様になった、是が大禍津日神オホマガツヒノカミと云ひ禍ワザワヒの神が出来たの
で、是ではならぬと、その禍を直さん為に、神直毘神カムナホビノカミを生まれた。大禍津日神
は、世間一切の悪事の神である。次には、六柱の海神が御生れになった。
 
 処が一番最後に、左の目から、美しい輝くやうな姫神様が御生れになった、是が天照
大御神で、次に右の目からは、月読命ツキヨミノミコトが御生れ、鼻から、須佐之男神スサノヲノカミが
大威張で御生れになった。伊邪那岐の大神は、この三人の貴い御子が生れになったこと
を非常に御喜びになって、その三人にそれぞれ支配の地方を定められた。一番御姉様の
大御神には、御自分の頚飾クビカザリの玉を御とりになって、御手づから、この女神にかけ
与へながら、高天原タカマガハラの支配権を与へ、月読命には、「御前は素直でよい子である
から、月の世界、夜の国を支配するがよい」と御仰せになり、一番末子の勇猛無比なる
須佐之男命には、「御前は随分偉らいから海上を支配せよ」と御命令になった。
 処が、大御神と月読命とは、素直にその与へられた世界を御治めになったが、弟の須
佐之男命は、毎日ワイワイと泣いて計りゐられるので、大神は困り果て、遂には御怒り
になってその国から追放して御終ひになった。斯カうしてから伊邪那岐の大神は御安心な
されて、日の若宮ワカミヤに御還りになり又淡路や近江の多賀の宮などに御住ひになったと
云ふことである。
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