神様の戸籍調べ
 
二十七 大碓命と小碓命
 
 天皇はスッカリ感心なされて、尚ほ日本の東辺近頃、甚だ不穏であるから、尊の勇略
を以て征伐して呉れるやうとの御勅命があったので、尊は喜び勇むで御出発にになり、
先づ、伊勢の大廟に参拝して来やうと、伊勢路に御這入りになる。丁度御姨君オンヲバギミ
に当らせらるる倭比売命ヤマトヒメノミコトが、大神宮に御奉仕なさってゐたので御暇乞をせらる
ると、倭比売の御姨君は、大層此尊を可愛がってゐられたので、非常に嬉び、そして色
々と道中の事やら、御身の上やらの事共を御訓戒なされ、餞別として、三種神器の一で
ある、叢雲の剣を出して、
 「是は身の守として悪徒を征伐し、天皇の御稜威ミイヅを輝すやうに、・・・・・・」
と、更に一つの小さな小包の袋を出し、
 「是は火打石が一揃あるから、決して捨てずに膚身ハダミを離さず持って御出で」
と渡されたので、尊は勇んで有難く頂戴し、御妃の弟橘比売オトタチバナヒメと一緒に尾張路に
出で、駿河相模の方へと、東海道をズンズン征服して進みになると、丁度富士の麓の広
い野原まで御進軍になった頃、その地方を占領してゐた悪い国造があって、平常、王命
に背きて私に官領を支配してゐる悪い奴であったので、尊は攻めてやらうと思し召しに
なってゐたが、愈々そこ迄御出になると、彼国造はいとも丁重に尊を歓迎し奉り、色々
御気に入るやうにした上に、
 「時に皇子に申し上げますが、この野の中程の叢の中に、池がありまして、その池の
近所に、悪い荒神が棲むでゐて、狂暴にして良民を苦めて困ってゐます、尊は実に日本
一の武勇の皇子でありますれば、何卒是を御退治下さるやう」
と真しやかに申すと、元より悪神、悪徒を征伐の為に御下向の尊、殊に勇猛のご気性故、
何条躊躇し給ふべき、
 「よし、王土の内に、良民を苦しむるものは平げ呉れん」
と、広ろき野にそれと目がけて別け入り給ふと、行共行共草計り、「不思議ぞ、何かの
物怪にやあらん」と思し召す折柄、颯サッと吹く風につれて、立くる煙の怪しき、
 「物の怪か、但しは敵に欺かれたるか、怪しの煙哉」
と思ひ給ふ間もあらず、吹く風につれて、鎌も何も入れしことなき広き荒野の枯草は、
走るが如く燃えに燃えて、四方八面は火の海と化した。全くかの国造が尊を焼き殺さん
としたのであった。尊の運命は危急に迫った。尊は忽ち何思ひ給ひけん、叢雲の剣を抜
きて、四方の草を切り薙ナギて、御姨ヲバより賜はりしかの火打石を出して、カチカチと
是に火をつけ給ふと、向ひ火の勢は風にあふられて、却って敵の方へ拡がりゆき、国造
等は一人残らず焼け死むだ。尊はこれから、叢雲の剣は、草薙の剣であるぞと仰せられ
た。
 
 思はぬ危難に、思はずも敵を征め滅ぼし給ひし尊は、それから尚も愈東に進み相模か
ら、伊豆に出で、安房へ御渡りにならうと、今の安房海峡そのころの走水海を小舟で御
出帆になると、剛胆な尊は、海流早きに山国育ちの家来共の、恐がるのを見て、勇気を
鼓舞せん為に、
 「何、是ばかりの海は屁程でもないじゃないか」
と仰っったが、是が又、非常に海神の怒るところとなり、さなぎだに、航路難のこの走
水路は、特別に今日は荒れ出した。狂瀾怒涛、天うつ浪は、蒼黒い、底も解らぬ海を顛
倒する許りに荒れに荒れ、怒りに怒って、船は木の葉のやう。流石に陸では猛き尊も、
何の詮術もなく、船は浪にまかせてグルグル廻りして少しも進まぬ。その時妃の弟橘比
売オトタチバナヒメは、決心をして、
 「妾の命に替へて御救ひ申すことが出来るならば、どうぞ御助りなさって、京に帰り、
父帝に御復命して下さい」
と男々しくも、立上り給ひ、辞世の一首に、
  「燃えさかる相模の沖の燃ゆる火の
     焔中ホノホに立てて問ひし君かも」
とて、尚ほもこの尊の御身の上を思ひつつ、ザブンと、逆まく怒涛の中に飛込みになっ
た。流石に荒神の海の神も、この清き橘比売の心に感じてか、忽ち海浪平ぎて、舟は安
々と、夢路を辿るやうな心地の中に、房州海岸に着いた。丁度七日を経てから、橘比売
の御櫛が海辺に流着したので、せめてこの御櫛を、此の世に在せし姫の御名残として、
御葬ひ申し度いと、是を以て御陵を作った。
 
 危き思、悲しき思の中に、かくて慨ナゲきゐることにあらねば、尊は、ドンドンと東国
を平定し最早概路片づいたから、御帰路の途ながら、足柄の坂本で御中食を召し上って
ゐられると、そこに山の神が白いおとなしさうな鹿に化けて歩み乍ら、尊の前に来て白
眼ニラむで、何か尊に隙があったら、悪いことをしてやらうと思ってゐるのを、尊は早く
も知って、咋クヒ残の蒜ニラの片端を摘でポイと白鹿目がけて投なさると、目に当って、鹿
はこのまゝコロリと死んで、尊は御無事であった。
 「少しも油断は出来ぬわい」
と仰せ乍ら、阪を上り、足柄の嶺に立って御覧になると、彼方遠くは安房上総下総より、
駿相の山河手にとるが如くであった。そして嘗つては涛波に苦み給ひし、走水の海は、
蒼く見えるこの時、尊の勇々しき御胸には、過ぎ来し方の事が、丁度走馬燈のやうにグ
ルグルと廻って、御頭の中には、悲しい悲しい一曲がひゞきの様にひゞいた、
 「君の為に死するこの身はいとはじ、御無事で賊徒を平定なされて、御凱旋なさるや
う、火の燃ゆる中にてさえも、わが君を思ひ参ゐらすことよ」
と、名残さへ腹腑を断つやうな、優しい弟橘姫のこと共を偲び給ふと、流石に武けき尊
もポロポロと涙や、血の色をしたであらう、吾にもあらず。
 「吾妻アツマよ」
と三度繰返し歎き慕ひ給ふたのも涙の極である。
 
 あゝ、征途幾年、賊徒は平げ、国は治ったが、尊の御一身は是から悲しい事のみであ
る。御妻に別れ給ひ、心細々と甲斐路に出られた尊は、酒サカ折宮でこの懐吟があった。
 「新治ニヒハルつくばを過ぎて、幾夜かねつる」
と、すると、御供の家来が御歌につづいて、御答して、
 「日を経るは夜は九夜ココノヨ、日には十日を」
と。尊は大層この者を御賞になって、東国の国造に命じて、信濃を経て、尾張国に御出
でになり、御出発の際に、御約束なされた、尾張国造の美夜受比売ミヨズヒメの家に御滞在
になって、しばし、征路の塵を払ひなされてゐたが、茲に江州伊吹山に、荒神が居ると
の趣を聞し召し、御征伐の目的にて是に御登山なさることとなった。その時、草薙の剣
をば、かの美夜受比売の許におかせられた。比売が剣を御佩にはなりませんかと尋ねら
れると、元気に、
 「何此山の神は、徒手ムデで沢山だよ、剣など仰山なものは入らない」
と、既に山に登り給ふと、一匹の小牛の如き大きさの白猪が顕はれたので、尊は、是が
山神の化けてゐるのでとは御存知ない故、
 「貴様は山の悪神の使者だらう、今は殺さんが、帰りに殺してやるぞ」
と宣ひ乍ら、山頂を極め給ふ折しも、大氷雨ヒウが降って来て、すっかり尊は御濡れにな
ったから尊は昏睡状態に陥りなされた。然し剛勇なる尊は、自ら気を励まし給ひ、漸く
下りて玉倉部と云ふ所の清泉を掬むで御休息なされ、やや御元気が回復したので、滝野
を経て、伊勢路に御出になると、素手では歩けないので、御杖をつき、タドタドと御帰
りになる。あゝ日本一の勇猛の尊も、病には勝難くて、遂に伊勢の能煩野ノボノに迄来ら
れると、一寸も足が進まぬ。
 「心は大丈夫だが足が丸で三重産の勾マガタマの様で、歩けない」
と仰せになり、遂に京にも御帰り給はで、
 「日の本の、国の真秀マホロは、畳になす、
    青垣山囲コモれる大和ぞ美はしき」
 「建スコヤカに、生イキけむ人はへぐり山の
    繁れる樫葉、うすくなせそ子等」
との、望郷、愛国、忠君の辞世を残しまして、遂に薨じ給ふぞ悲しき。せめて都まで帰
りまさば、いかにか御喜びやありしと、思ふは誰もかも同じである。天皇も殊の外この
悲報に接して痛惜し給ふて、懇ろに能煩野ノボノに葬られた。御葬式の時に、御棺の中か
ら白鳥が飛んで出て、大和国に向って去ったので、群臣が御柩を見ると、御衣のみで、
御身はなかったので、是から、この白鳥の停った、大和の国の土地土地に御陵を作って、
尊の霊を祭った、即ち大和の琴弾コトヒキ原、河内の旧市邑及び此能煩野で、是を白鳥の三
陵と申すのである。御子ミコ帯中津日子命オビナカツヒコノミコトは、成務天皇を経て仲哀天皇とな
らせられた。そして今や尊は、近江国栗国郡クリタゴホリ瀬田セタ村の官幣大社建部神社に御座
あらせられてゐる。一生は実にかくて涙と、そして勇ましき武勇談とで色彩せられゐる。
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