神様の戸籍調べ
 
二十七 大碓命ウスノミコトと小碓命ウスノミコト
 
大碓命と小碓命の戸籍帳の抄出
 人皇第十二代       景行天皇
  妃            針間之伊那毘能大郎女
  御子第二皇子       大碓の皇子(双子)
  同 第三皇子       小碓の皇子 〃 亦名日本武尊、倭男具那。
  大碓の妃 大根皇ノ女   兄比売弟比売
  小碓の妃 忍山宿禰の女  弟橘比売
  小碓の御子        帯中津日子の命 後の仲哀天皇
  其他御兄弟六十五人
 
 この大小碓命ウスノミコトは、共に人皇第十二代景行天皇の御皇子で、御母后は、伊那毘能
大郎女イナビノオホイラツメと云って、御兄弟は双子であったので、流石御英明の景行天皇も、非
常に驚ろかせられ、碓ウスに向って詰びなされたので、この二人に碓ウスの名をつけ、兄を
大碓命、弟を小碓命と申されたと云ふことであるが、御二人共、非常に御鼻目秀麗にし
て、女ではないかとと云ふ程美しい皇子でゐられせられた、しかも御二人共非常に剛気
闊達であらせられた。
 ある時、父帝の景行天皇が御巡狩の折に、非常なる美人を御覧になって、御家来に、
あれは誰の娘で何と云ふ者か尋ねて参ゐれと申しつけられたので、臣下が策ねて見ると、
大根王の女で、兄売弟比売エヒメオトトヒメと云ふ、名高い美人であったから、然らば、妃にす
るから、行って迎ひて参るやうにと、大碓命に御下命になった。勅を奉じて大碓命は三
野と云ふ処に、大根王を訪ひて、勅命を告やうとせらるる時、その女を一目見て、花に
も絵にもあり難きその美しさに流石に猛き大碓命も、魂が飛去ったやうに、ぼんやりし
て勅命も何もかも忘れて終った。そして遂に大根王をとき、この美しい兄比売弟比売と
結婚して終はれたが、サテ困った事には父帝への返事である、まさか勅を奏せずと言へ
ぬし、今更ら此美しい女を父帝に奉るも惜しいとて、遂に一計を案じ、他の美しい女を
策し出し、是が兄比売弟比売でありますと、詐って天皇へ献じられると、天皇も一度は
御覧になったことであるから、いくら大碓命が甘そうに口添えし、その女が立派な美人
であっても、すぐ他のもので、兄比売弟比売でない事が解ったから、妃にはせられなか
った。
 
 是には、大碓命も事露見に及んだものと、それからは、今迄のやうに父帝と一緒に朝
御飯を召上がらないので、父帝は、小碓命に向って、
 「お前の兄さんは、此頃は私と一緒に朝御飯も食べないから、それではいけぬと、御
前行って教へてやれ」
と御下命になった。それから五日程、今日か今日かと父帝は御待ちになったが遂々来ら
れないので、天皇は小碓命に向って、
 「御前は私の命令通り兄さんに教へたのか・・・・・・教へただけじゃいけない、未だ一度
も来ぬじゃないか、あれからもう五日も経つぞ」
と御仰つると、小碓命は平気な顔して、その美しい眉を上げつゝ、
 「御父さま、チャンと兄さんの腹腑ハラワタに染込様に教へてやりました」
 「そして兄さんはどうした」
 「はい。朝、兄さんが厠に入るところを待ってゐて、捕へて其侭締殺ろすのも何んで
しゃう、御父さまの妃をとるやうな兄様だから、一つ意地目てやらうと、肢を闕ヒシぎて
菰に包むで投げ棄てて終ひました」
と御仰ったので、流石剛気なる景行天皇も、この皇子の剛胆無双なるに、驚ろき恐れな
さった。然し、小碓命は決して兄さんを、仮令悪いにしても、惨刻に殺すやうな方では
ない、窃に御逃しになったが、大碓命は、三河の狭投山サナゲヤマと云ふ処で、毒蛇に中っ
て御薨去になった。
 
 さても此剛勇、獰猛ドウモウなる小碓命は、父帝から全国の賊徒征伐の勅令を蒙られて、
その一生涯を、勇壮にして悲哀多き月日の中に御暮らしになった。第一に西九州に熊曽
建クマソタケルと云ふ悪者が居て、王化の遠きを口実にして、天皇の命令に服せぬのみか、随
分良民を苦しめてゐたので、皇子御年十六にして勅命を奉じ、遥々とこの熊曽建兄弟を
退治に出かられた。其時丁度、建は弘大なる家を新築して、非常に盛大なる酒宴を催し、
近隣の美少女を集めて、酌をさせたり舞はしたりした。皇子は未だ十六の、殊に金枝玉
葉の御身とて、御膚も輝くばかり御美しき御容子に女に化けて娘共に交りて、新築の宴
席に御這入りになって女らしく酌などすると、建はこの皇子の美しき容子にすっかり女
と信じ、
 「御前は清キレいだなァ、酌をせい、御前の酌で飲むと、尚ほ甘いぞ」
などと、太平楽の百万多羅で大威張り、大に酔って兄弟共寝込むところを、尊は、かね
て用意の短刀を抜きて、今し寝入りばなの兄建を唯一突さに刺し殺しなさると、
 「ウーン」
と此世の最後の一声、ドッと倒れる物音に、目を醒したる弟建、
 「コワ何事ぞ、無礼者奴」
と立上るを、剛力無双の尊とて、何のその、ハッタと白眼ニラミ給ふに恐れて、弟建は、叶
はじとてや逃げ出すを、「己れッ」と大喝一声して階下に追ひすがり、逃る後より刺し
給ふと、弟建も立ちやらず顛コロガり倒れたる上に乗り掛って刺さんとなさると、下より
苦しき声して、
 「かくも強き貴公は誰でありますか」
と尋ねたので、尊は此世の引導代りに、
 「吾こそは今上天皇の皇子、汝等不忠の悪者を征伐に下向したる倭男具那ヤマトオグナ王と
云うふ者ぞ」
と御名乗りになると、弟建非常に感心して、
 「佐こそあらう、普々ナミナミのものでは得仕ないと思ひました、実に生まれて幾十年、
西の国での大将と仰がれ、幾十ケ度の合戦に沢山の者と闘いましたが、皇子の様な強い
方は出会したことがない、実に日本第一の勇武の御方であるから倭建尊ヤマトタケルノミコトと申
しましゃう」
と言って殺された。是より、小碓命は、今迄の倭男具那ヤマトオグナと云ふ名を改めて、倭建
尊ヤマトタケルノミコトと申されたが、この大成功を得て、一度京に御還りになると、帝は二度出
雲地方にゐて悪事を働き、王命に服せざる出雲建と云ふ悪党の退治の勅命をうけ、席温
るに時もなくして、北海の波ひゞく出雲に御下向になられた。
 
 出雲に下られたる尊は、少しも殺伐なる気を見せず、その美しい顔と、優しい姿と、
そして若い御年のまゝに無邪気な容子をして、出雲建と御交遊になり大和から来た少年
とのみで、親しき気に、彼等と遊び物語などしてゐられた。夏の一日、仲好なられた尊
と出雲建とは、肥河ヒノカハへ水泳に出掛けた、しばし泳遊をしたりなどしてゐて、間もな
く尊は先きに上り、手早く建の刀をとって、
 「君の刀は仲々善いなァ、換ッこをしやうじゃないか」
と腰に佩かれると、ノコノコ上って来た建は、
 「それは不可よ」
と云へど、最早尊はスラリ建の剣を抜き放ち、
 「サア、グズグズ言はずに取換た証拠に勝負しやう」
と言はれて、勝負の好きな建は、
 「ヨカロウ、大に遣りませう」
と、尊の刃をとり上げ、倉皇アワテて抜かう抜かうとするが、チャンと尊は今日の水泳する
前から、色々用意がしてあって、尊の刀と云ふのは、木で作った刀であるから、見かけ
は本ものと少しも変らぬ鞘装サヤゴシラヘであるが、抜けやう筈がない。建が狼狽してゐる中
に尊は切り込むで、コロリ首が落とされた、自分の刃で自分の首を切られるなぞ馬鹿気
た談は他に類が少い。命は又も堂々と御帰洛になった。
[次へ進んで下さい]