神様の戸籍調べ
 
二十六 弟日姫子オトヒメゴの恋物語
 
 肥前風土記にある、日本乙女の熱烈にして純の純たる恋物語がある。それは弟日姫子
と云ふ美人が、宣化センカ天皇の御頃に、九州の松浦にあった、この弟日姫子は、非常なる
美人であったと共に、その顔の美しい様に心も亦美しい方で、金持の子で大伴狭手彦オホ
トモノサテヒコと云ふ美丈夫と結婚してゐたが、楽しき夢も国家の命をうけし軍人とて、敢なく
家を捨てて、勇む狭手彦は兄磐彦イワヒコと共に任那ミマナの征途に上った。流石女気の弟日姫
子は、離れ難なの心地に毎日毎日その日の来るのを悲むでゐたが、果しなき日にも限あ
るものとて、遂にその日は来て、狭手彦は千鳥しばなく松浦潟を出航した。残されし姫
子は、哀々の情別離の感に堪えず、山に登りて、見ゆる限り褶ヒレを振って離ワカレを惜む
だ、惜みてもつきぬなごりの涙を打払ひて姫子はしほしほと家途に帰ってゐると、一日
二日と日は終フれども、終ヘても変らばこそ、益々恋しさの情堪難きに、丁度狭手彦が出
発してから五日目に、若き男が夜毎に姫子の処に通ひ来て、暁になると帰ってゆく、し
かもその顔と云ひ、容子と云ひ、狭手彦そっくりであった。
 是は心の迷にもやと審アヤしめば審しむ程益々よく似たるこの若き男子の有様に姫子は、
せめてこの家の住家を知らうと、或夜、通ひ来た折窃ヒソカに麻糸を以て、其の男の着物の
裾に着けておいて、暁をまち急ぎ帰る男の跡を、麻糸を手ぐりて見ると、山上の沼の処
に来てゐる。見ると一匹の人身蛇頭の怪物がゐたが、姫子をみるや、忽ち常に通ひ来る
男の姿となって、
 「篠糸シノイトの弟日女オトヒメの子をさひと夜も、いねてんしたやいへにぐださん」
との一首の歌を詠むだ。この有様を、今朝は姫子の様子が可怪しいと、窃に後からつけ
て来た家来のものが此場の様子を見届け、驚ろいて帰り家のものに告げたので、
 「ソレ、姫子に一大事あってはならぬ」
と親族沢山相率ゐて、かの従者の案内で山上の沼の辺りまで馳せつれて見ると、蛇と姫
子とはいづくえか消えて姿もないので、沼にもや溺れてんかと、一生懸命に人手を集め
て、沼水を乾して見ると、底には唯骨が残るばかりであったと云ふ。これが松浦佐保比
売サホヒメの褶振ヒレフル山の物語の真相であるが、弟日姫子が余りに、恋しさに盲メガクラむだ為
に、怪しきものの気につままれて、こんな敢無き最後を遂げたのであった。一面彼の純
なる恋の最後を伝へて、最後のその憫れさに涙をそそがしむるものがある。
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