神様の戸籍調べ
 
二十四 誉津別命と其母妃
 
 ある時、この哀れな誉津別命が御殿の椽の端に出でて大空を仰いで御出になると、丁
度そこを鵠鳥カウノトリが通ったのを見て、皇子は、
 「あわゝ」
と丁度子供がものいふ様なことを御仰った、御伴をしてゐた家臣は非常に驚ろき嬉んで
この旨を天皇に奏上すると、天皇も亦喜び給ひ、
 「何と言ったか」
と御尋ねになると、一人は、
 「あわあわと御仰いました。丁度鵠鳥が通った時分、雲が白ろく、沫アハの様になって
ゐたのを御覧になったので・・・・・・」
と申すと、一人が、
 「いや左様ではありません。あをあをと御仰いましたので、雲の晴間の青い色を御覧
になったものでしゃう」
 「いやあわだ」
 「いやあをだ」
とあわとあをとが争論し出したが、然らば皇子に御尋ねしやうと、皇子を天皇の処まで
御供なひ申して、御聴き申すと、今度は一向御口が利キカない。
 「ウム。然らば鵠鳥を捕へて来たらば、皇子は口を利であらう、それあの鵠鳥を捕へ
て来よ」
と御勅命を謹みて、山辺ヤマベの大是(是+鳥)オホタカと云ふ、非常に足の速い空中を駆る
事の上手なる者をして、鵠鳥を追はしめられた。
 鳥は紀州から播磨へ出で、因幡に出で、それから丹波、但馬と、彼方へとび此方へ飛
び、東に向かって、近江から美濃尾張と経て、遂に越後の国に飛んでゐく、大是オホタカは
千辛万苦して、遂に越後、和那美の水門ミナト(鳥取村海岸)で、やうやく捕へて、網に入
れて献上した。
 
 是で皇子は必ず御口が利けると思って、鵠鳥を御見せ申したが益ヤクには立ちません。
別して、命ミコトを的にこの皇子の御口の利けぬのに幾十日の間、野に山に谷に川に海に、
露をも霜をもいとはず飛び走った山辺の大是オホタカは、丸で気脱の殻の様にガックリして
芒となって終った。陛下もさてさて重ね重ねの不幸やら、この皇子のこの御不自由に、
今更叶はぬとも見れば、一時に御頭も白くなる計り御心痛遊ばれたものか、ある夜御夢
を御覧になった一人の神が顕はれて御告げになるには、
 「吾が宮を天皇の御殿の如く立派に修理したならば、誉津別ホンヅワケ皇子の御病は直る
であらうぞ」
と、一道の光明は茲に立ったのである。天皇は大に喜び給ひて、御占をされると、それ
は、出雲の大神の御社が非常に荒廃してゐたのを、天皇が御講にならなかった罰である、
神の祟でこのような皇子が出来たと云ふ事が解った。然らば神の祟も恐ろしきに、尤も
神慮もかしこしとて、早々に皇子の出雲大社御参拝と云ふことに決定し、其随従に、曙
立王アケタチワウと云ふ方が撰定せられた。
 
 愈々曙立王は御供と決まったが、出雲大社に参拝しても、果して神様の御利益で皇子
の御口が利けるか否か、はっきり解らない。そこで占をすることになって、
 「出雲大社に参詣して、誉津別命の皇子の御口が利ける様なら、あの池の側にある樹
に巣をしてゐる鷺サギは落ちて死ねッ」
と言ふと、摩訶不思議、パタリパタリと鷺が落ちて死んで終った。
 「成程、是は御利益がありそうだわい。だが、今一度試験してやらう」
と、今度は、その死んだ鷺を元の通り活返らせると、サッと立って元の巣に帰ったので、
愈々曙立王は感心したが、
 「是は鷺のやうな鳥だから気合で成ったが、今一度この樹で占って見よう」
と目の前に聳えてゐる、太い樫の木に向って、
 「出雲大社に参詣して誉津別の皇子の御口が利けるなら、この樫の木は枯て終えッ」
と命令するすると、今迄青々と繁ってゐた樫の木が、見る間に、秋と冬のが一緒に来た
やうに、パラパラと葉落ち枝枯れて、寂しい姿になったので、成程とすっかり感心して、
その枯れた樹を元通り活しておいてから、遂に出雲へと出発せられた。
 
 この度の大社詣は、誉津別の皇子にとっては、実に希望に輝く御旅路であった、曙立
王と、今一人菟上王ウサギガミワウと二人が御伴して、奈良から大阪に出でて、幡州路を経
て、出雲へと御下向、参拝へと急がれた。
 急げば茲は出雲国、築杵キツキの小浜コハマに大フトしき宮柱を建てませる、大国主大神を祠
る大社に着きて皇子を始め、御随従の曙立王、菟上王は、一生懸命に誠を傾けて、皇子
の御口の利けるやうに祈願した。そして御還り道に、斐伊ヒイ河の沿岸になると、丁度国
造の祖先になる方で岐比佐都美キビサヅミと云ふ者が、この皇子の御還りを迎ひ奉って、何
かな御慰め奉らんと、河の下流とて、山のない平野で一向山水の妙趣がないので、仮り
ものの青葉山を作って御馳走などしてゐると、今迄御生れなされてから此方、三十年近
くも一口も御利にならなかったその口からスラスラと、
 「こんな河下に、あの様な青葉山がある筈がないが、よく作ったものだネー、あれは、
大国主大神を御祭り申す為の仮装物ツクリモノであらうなァー」
と御仰せになった。是を聞いた二人の随従は、夢かと喜んだ。
 「御口が利た。御口が利た」
 と、手の舞ひ足の踏む所を知らず、耳を疑ったり、鼻をつまんでみたが、矢張り真正
真銘に誉津別皇子が御仰ったのであった。そこで早速、夜を日についで早馬で都の父帝
に御知らせして、天に仰ぎ地に伏して、大神の御恩徳に謝し、喜び泣きにないた。
 
 それから、皇子は一時、出雲の神門モンド郡知井宮チイミヤ村と云ふ処の長穂の宮に御滞在
になってゐたが、駅の長寿の姫に肥長ヒナガ姫と云ふ、素敵もない別嬪が居られたので、
是と御結婚遊ばされて、夫婦仲睦じく御暮になってゐると、ある夜ふと皇子が眼を御覚
しになると、美しい恋しい、いとしの妻肥長姫と思ったのは、途徹もない大きな大蛇で
あって、皇子に添って好い心地で寝てゐる有様に、皇子は今迄の恋はどこへやら、宙を
走るばかりに足を早めて静かに夜具から脱け出し、御身の廻りものを抱えたまゝ、ひた
走りに走って御逃げになって、御家来と一緒に海岸に出て、手早く船を用意して、腕を
限りに漕ぎ出して、ヤレヤレと一息つく途端、振顧みると、目覚てか肥長姫の大蛇は、
皇子の居給はぬに、索した結果、今沖の方遥に逃げ給ふを見つけ大きな目玉を輝かして
ドンドン追って来る、皇子達は力の限り漕ぎ岸につき、山の谷間を通って、漸く命辛々
都へ御つきになった。
 そこでこれまでの色々の物語を御父帝になさるので、帝も非常に御嬉なされ、是れ大
社大神の御恩徳と思し召して、菟上王を出雲に御差遣なされ、大社神宮を御造営なされ
た。そして是から誉津別皇子は幸福になられたのである。
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