神様の戸籍調べ
 
十九 犬頭霊神イヌカシラミタマガミ
 
 犬は万獣の中の賢者にして、その忠は人にも勝ると云ふから、犬頭霊神の神話でなく、
事実譚を聞くと、成程と感心して涙をこぼすものもあらう。
 頃は文和二年夏のまだ浅き五月、三河国上和田カミワダの城主、宇都宮左近将監泰藤シャウ
ゲンヤスフヂと云ふ、性来狩りのすきな殿様があって手飼テガヒの白犬を引き連れ、彼方此方
と鷹狩の末、碧海郡アフミゴホリ糟目カスメ神社の境内に来ると、非常に疲労を覚えた彼は、社
の坤ヒツジサルの方にある大きな樹陰に立寄って、根株に腰掛けて憩ふと、今朝より、山野
を馳せ廻ったこととて、急に睡を催して来た。
 主人の足元で寝ころんでいた白が、急に怯えたやうな唸り出した。ウトウトと睡らう
とする泰藤の膝に踊りかかって、噛むかの様子に、泰藤も驚ろき覚めて、
 「白ッ」
と手を挙げて叱ると静かになるが、泰藤が復マタねやうとすると、再び吠え出し、果ては
泰藤の脊に飛び上がるやら、着物の裾を引くやら、泰藤は睡気は益々増すばかりに、ワ
ンワンと対には絹を裂くやうな声を出すに、さては気が狂ったものよと、大に怒り、「
ワン」と踊りかゝるを、「ヤッ」と気合一声、白の首を切れば、アリャ不思議や首は宙
に飛び上がり、樹の枝めがけて「サッ」と躍っていくと、忽ち樹よりは一匹の大蛇、の
た打ち廻りて墜ちたるに泰藤殆ど気も顛倒せんばかり、見れば大蛇の首に、かの白の噛
みつき、鮮血淋々として泉の如きなるに、始めて、かの白の躍り上がり吠え叫べるは、
実に此大蛇の危難が主人の上に墜つるを知って、「ソレ大蛇が上に」と言い度いが、ト
ツオイツ、彼の凡ゆる手段の最上を尽くして警告したのであった、そして首を切られて
も尚ほ、その敵に躍り付きて主人を救った。この白の忠義に泰藤感に堪へず、糟目神社
に合祀ガウシして、犬頭霊神イヌガシラミタマガミと称し毎年九月十五日を以て祭礼とすることと
なった。
 
 是と同じ、白犬の忠義な物語が日本書紀に載ってゐる。それは、聖徳太子の御時代の
出来事であるが、捕鳥部萬トットリベノヨロヅと云ふ勇士があって、その主人が、皇室の方に反
対を称へ、遂に謀叛ムホンの一味に加担し、聖徳太子の軍勢に征め滅ぼされたその時、萬ヨロ
ヅは元来忠義無類のものであったけれど主人と倶に行動したから仕方がない、賊の主魁
シュカイと見られ、官軍の体勢を以て征めに征めたから流石剛勇の萬も、力つき矢折れて、
自ら頚を切って死んだ。その死ぬる時までも彼が平常愛してゐた白い犬は従いてゐたが、
さて萬の首は梟首サラシモノとなるや、白はグルグルと其首を廻って、警護するかの如く、ワ
ンワンと吠えて、主の死を悲しむやうであったが、或夜、番兵の隙を伺って、主人の首
を奪取り、遠き空家の中に咬へこみ、犬はその首の番をし乍ら遂に餓死をした。この事
が朝廷に知れて、憐アハレなるこの白犬の忠義に泣かぬものはなく、遂にこの忠犬から引い
て、その主捕鳥部萬の本心も解って、恐るべき反逆の罪から赦されたと云ふ。
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