神様の戸籍調べ
十四 天牟良雲命アメノムラクモノミコト
この神様は天神ではあるが、古事記にも日本書紀にも明かに記してない神様で、旧事
紀キウジキによると、饒速日命ニギハヤヒノミコトに従って降った三十二神の中の一人であると云っ
てある。色々の他の書籍には、種々あるが、御神系ゴシンケイは頗る解り難いが、御職は水
を司られる神様で、殊に伊勢外宮に奉仕なされ、天二登命アメノフタノボリノミコト、又は後小椅命
ノチノヲバシノミコトとも云ふ。
皇孫の時代に、此命ミコトは太玉串フトタマグシを捧げて御供をしてゐると、御家来中に、大
変腹痛を起すものがあって、色々病原を研究の結果、全くこれ日本の水質の不良なるに
依ることが解ったので、皇祖に御相談するのがよからうと議決し、此命はその使者に当
撰し、勇むで此旨を奏すると、神魯岐カムロギ神魯美命カムロミノミコトは、詳しく其現況を聞こし
召し、
「諸政は是を教へたりと雖も、未だ清水法は教へなかった故、誰かを遣はして教へて
やらうと思ってゐた処で丁度よかった」
と、天忍石アメノオシイワの長井の水を八つの玉の鉢に盛って、天牟良雲命に御手渡しになっ
て、更に宣ノタマふやう、
「この水を齎モタラして日本に下り、八盛モリを皇太神クワウタイジンの御饌料ゴセンレウに供へ奉
り、八盛を皇孫の御飯の料にし、残った水を、八の忍石水オシイハミズと云って、日本の水の
上に注ぎ入れて、朝夕の膳料として、扈従コショウの神々に飲ませるがよい」
と仰せになったので、天牟良雲命は、非常に嬉び、皇祖の下モトを辞して、日本に降り、
皇孫に神様から頂いて返った玉鉢タマハチの水を献上すると、御嬉になり、
「皇祖の処へどの道から上がった」
と御尋ねになると、
「大橋タイキャウは皇孫の御降臨の砌ミギリ御幸ミユキなされた処でありまするから、私は小橋
をとって上りました」
と恐惶して奏上したので、非常にその臣道を尽せるを賞し給ひ、
「汝のなす所は大ハナハだ可なり、宜しく天二登命アメノフタノボリノミコト又は後小橋命ノチノバシノ
ミコトと云ったがよからうぞ」
との御仰せに、天牟良雲命は、末代迄の名誉を辱カタジケナふして、永く日本の井戸の神様
となることになった。
[次へ進む] [バック]