神様の戸籍調べ
十二 天児屋根命アマツコヤネノミコトと天種子命アマノタネコノミコト
天児屋根命の子孫は、中頃中臣氏ナカトミシとなり、遂に藤原氏となって、日本の政治を執
った点に於て、実に尊い血統である。
古語拾遺コゴシュウイは、旧事本紀クジホンギの系譜によって案ずると、別天神とて高皇産霊
神タカミメスビノカミ、神皇産霊神カミムスビノカミと共に、五柱の神と申し奉る振魂尊フリタマノミコト、乃至
興登魂尊オクトタマノミコトの御子に二人あった、一人は武乳遺命タケノチチイノミコトで、一人がこの天児
屋根命である。名高い天種子命の御祖父様にあたる方で、天照大御神が岩戸隠れをなさ
れた時、かの天安河原アマノヤスカハラの会議の結果、祝詞ノリトを奏せられたと云ふから、非常に
声のよい方であったらしい。
後、天孫降臨に際し、この命も亦降りて主として祭祀の方面を司ってゐられた。後来
藤原氏がこの命の名に於て威張りちらすうになったが、この神の血統は、飽く迄も臣子
の分を守って、皇室を御護りする役目である。
天種子命アマノタネコノミコトは、天児屋根命アマツコヤネノミコトの御孫にならせられて、戸籍を調べて
見ると、
司法官 天種子命
御妻 宇佐並津ノ妹 菟狭津姫
御父 天押雲命
と云ふのである。始め神武天皇に随従して東征に功ありしが、皇軍宇佐に御出になった
時,ここに菟狭津彦ウサツヒコ、菟狭津姫ウサツヒメと云ふ二人の方がゐて非常にこの天孫の東征
を祝し嬉んで、非常なる大宴会を設けて皇軍を饗応したので、天皇も其志を嬉び賞せら
れ、姫を臣下である天種子命に娶合せられた。つまり神武天皇の勅媒を蒙って結婚した
と云ふ仕合せな方であるが、其後幾多の戦争に於ても抜軍の大功を立て、遂に天皇が大
和に於て御即位遊ばさるるや、天種子命は勅チョクにより司法官となりて、天ツ罪国ツ罪を
解除せしめらるるに当り、其局に任じたのである。
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