神様の戸籍調べ
 
五 大酒大神オホサカノオホカミ
 
 大酒大神は、実は神楽の上手な神である。
 この神は欽明キンメイ天皇の頃、大和国泊瀬川ハセガワの洪水があって、河の上流から色々の
ものが流れて来た時に、一つの壷が流れて来て丁度三輪ミワ神社の社前の杉の木のある鳥
居の辺で留まった。折柄、都から三輪神社に参詣の公卿クゲ様が思はぬ大洪水で、今日も
明日もと鳥居の処に来て水の様を眺めて居られると、足元に壷が流れ着いた。その中に
は美しい清い、それはそれは可愛らしい男の子がゐた。
 公卿は都に帰って此由を天皇に申し上げると、天皇は殊の外に恐悦あらせられ、秦ハタ
の姓を賜り、河勝カハカツと名を付けられた。成長に伴ひ非常なる賢明な者となって遂に、
欽明、敏達ビタツ、用命ヨウメイ、崇峻スジュン、推古スイコの五代の帝に仕へ奉り、忠勤衆に超え、
特に神楽の芸に到っては、妙術他に必儔ヒッチウを見ざる程であった。然し老年になって、
陛下の逆鱗に触れ流罪に処せられた。
 
 摂津国難波から宇津保船ウツボブネに乗せられて、播磨の国坂越の海岸に着いた。此処が
流罪の地であった。浦人は太くこの河勝を尊敬したので、河勝も安くこの地で薨去コウキョ
したが、さても口惜しきその末後の流罪と、思へば安らけき・・・・名誉も地位も金もなき
浦わの生活・・・・その老後は、光栄ありし砌ミギリに比して返すがへすも残念に思った河勝
の心は、薨去の後も此の世に残って、播州地方には非常なる祟りをなしたので、地方の
人々は且つ悩み且つ悼み、この由を朝廷に申し上げると、朝廷でも河勝を気の毒に思し
召してか、大慈オホサカ大明神の号をを賜ったので、祟りも止むだは、河勝の怨霊も満足し
たことであろう。そこで朝廷では、此の事を奏聞ソウモンした浦人の代表者に赤城の名字を
賜ひて、大慈大明神の神官とせられたが、大慈オホサカを後に大避オホサカと改められたが、そ
れが大酒と又改められたのである。
[次へ進む] [バック]