[神職奉務心得]
 
五、寛平五年(893)三月二日太政官符
 −−殊に検察を加へて四箇の祭を敬礼すべき事−−
 
                 参考:神社本庁発行「神職奉務心得(資料集)」
 
               宇多天皇の勅を奉じて下された太政官符。『類聚三代
              格』(卷一、祭並幣事)所収。
               宇多天皇は、その当時朝政をほしいままにしてゐた藤
              原氏の専横を抑へて菅原道真を重用、御自ら親政体制を
              しかれた。また敬神の念頗る篤く、後の二十二社奉幣の
              制度も宇多天皇の御信仰によるところが大きい。譲位に
              際して醍醐天皇に与へた『寛平御遺戒』は、長く帝道の
              規範として仰がれた。
 
 右、案内を検するに、二月の祈年、六月、十二月の月次ツキナミ、十一月の新嘗祭等は国
家の大事なり。(中略)
 これによりて、特に潔斎をいたし、つつしみて祭礼せしむ。しかして敬はこれ疎簡ソカン
にして、礼は如在ジョサイにあらず、祭日に至るごとに奸濫カンランなるもの雲集し、幣帛を献
るに至れば、老少拏ツカみさらひ、いたづらに陳設の営ありて、かつて供神の実なし。禰
宜、祝部、すべからく神祇官にむかひて敬ひて幣物を受け、つつしみてその社に奉るべ
し。しかして件等ケントウの人、その敬をいたすなし。或は雇ひて身代りを出し、みづから
は参進せず。或はみづから受取るといへども奠ソナへ祭るの心なし。頑愚の輩は神の禁に
狎ナれみだり、神霊の祟は職モトとしてこれ之に由る。およそ神をまつるの礼は、神主・禰
宜、祝部をもって、その斎主となす。しかして職掌をつとめず、神事を疎略にするは、
ただに神主等の怠のみにあらずして、かへりてまた斎官の糺勘キュウカンを加へざるのいたす
所なり。(中略)
 祭礼の日は、必ず斎敬をいたせ。もし祭事につつしみなく、監察に怠りあらば、宮司
はこれを重責に処し、神主・禰宜・祝部等は祓を科し職を解くこと、一に貞観十年六月
廿八日の格のごとくし、かつて寛宥カンユウせざれ。
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