16 神道(諸派)
 
[神道]
神道の名あるは、中古以後の事にして、仏道儒道に対する称なり。而して其の文字は、
日本書紀の用明孝徳両朝の紀に見ゆるを以て始とす。
凡そ神道に数種あり、両部神道は本地垂迹等の説を立て、神仏を混淆するものにて、其
の両部と云ふは、或は伊勢両宮を金胎両部の大日に配するに由りと云ひ、或は神仏両部
の一致同体の説を為すに由ると云ふ。斯く神仏を混淆するものは、厩戸皇子の撰述と称
する説法明眼論を除く外は、僧延慶の著なる藤原武智麻呂伝の気比神宮寺の事を以て最
も古しと為し。惟僧允亮の政事要略に引ける、旧記の宇佐の放生会の事之に継ぐ。
 
唯一神道とは、儒仏の説を雑へざるの謂なり。一に宗源神道とも云ふは、日本書紀に、
「天児屋命主神事之宗源也」とある語に拠れるものなり。即ち此神道は、天児屋命より
伝来せるものにして、中臣鎌子が祭官意美麻呂に授くるに起れりと云ふ。而して吉田家
は累世之を相承るに由り、また吉田家の神道とも云ふ。
 
此余神道には、白河家藤波家及び山崎垂加等の諸流あのと雖も、都て両部唯一の盛なる
に及ばず。
後世本居宣長は羽倉春満岡部真淵の遺意を承け、直に国史神典等に拠りて立論し、平田
篤胤また之を拡めて別に其の説を為し、並に大に学者の間に行はる。
要するに神道には斯く数種ありて、互に相是非すと雖も今は毀誉を其の間に置かず。
之を世の公論に付し、唯当時の駁議バクギを録し、以て参攷に備へたり。而して其の書の
真偽もまた一に具眼者の判別に任するのみ。
 
和光同塵
やはらぐる日吉のかげも神さびて 千世しらぶ也みねの松風(拾玉集)
 
やはらぐるひかりときくもあとたるゝ ところをいふはわがやまとくに
                    (夫木和歌抄 三十四神祇 民部卿為家)
 
黒住神道
立向ふ人の心は鏡なり 己が姿を映してや見む(七箇条鏡草)
 
何事も難有にて世に住めば 向ふもの事難有なり
限りなき天照神と我心 隔てなければ生通なり(誠の心伝)

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