09 触穢・祈禳
 
[触穢]
触穢ソクエとは、汗穢の事の身に接し目に触れ、又は器物衣食に及ぶを云ふ。凡て神は清浄
を好み不潔を悪み給ふに由り、神事を行ふには、先づ潔斎して身心を清め、其の他神饌
幣帛等、総て清浄を主とし、汗穢に触れざせんことを要す。然れども其の間には避く可
からざるものあり、過誤に出づるものあり、是に於て触穢の制を設け、其の軽重に従ひ、
日数に等差を設け、或は展転の遠近に由りて、甲乙丙丁の区別を立てたり。
 
我邦は、上古以来汗穢を忌み、清潔を貴ぶ風俗なりしかど、触穢に日数の長短を分け、
展転の差を立てし事は、始て延喜式に見えたり。此後触穢の制、厳に益々慈シゲくして、
実行に難きに由り、其の制反て漸く緩み、近世に至りは、延喜の制の三十日の穢を減じ
て僅に一日とす。其の古制に依り少しも増減せざるものは、伊勢神宮以下の諸社あるの
み。
此篇は、祓禊の篇に関係するもの多し、宜しく参考すべし。
 
月事穢
もとよりも塵にまじはる神なれば 月のさはりも何かくるしき
                      (風雅和歌集 十九神祇 和泉式部)
 
[祈禳]
我国古来、上下共に敬神の念慮篤く、事あれば必ず神祇を礼祭して以て、祈禳の誠を竭
ツクす。祈はイノルと訓じ、またコヒともノミとも訓ず。幸福を神祇に請ひ求むるを云ふ。
禳はハラフと訓じ、災禍を禳ひ除かんことを神祇乞ひ願ふ義なり。
 
大鼓天照大神の天岩窟に幽居し給ふや、群神天安河に会して、祷り奉るべき方を議り、
天児屋命太玉命の二神をして、大神の出で給はんことを祈祷せしむ。是実に祈祷の起原
なり。
降りて崇神天皇の御代、疾疫盛に行はれ、凶年頻りに臻イタるや、天皇沐浴斎戒して神祇
に祈り、神功皇后の三韓を征伐し給はんとするや、また親ら神主となりて神祇を祭り、
その威霊に頼りて彼国を征服せんことを祈り、皇極天皇は南淵の河上に幸して雨を祈り、
桓武天皇は幣を五畿七道の名神に奉りて、国家の安寧を祈り給へり。
此他、人毎に子女を得んことを祈り、或は安産を祈り、或は富貴を祈り、材芸の上達、
航海旅行の安全を祈るが如き、その類実に多し。
 
毎月一度、神社に参詣して、己の所思を祈るものあり、之を月詣と云ふ。百度或は百日
神社に詣りて祈るもの、之を百度詣百日詣と云ふ。皆其の幸福を求め、災禍を禳ふに外
ならず。
また参篭及び釜湯立と云ふものあり、此もまた神に祈る方なり。此等もまた本篇に収む。
 
祈雨
千早振神もみまさば立さわぎ 天のとがはのひぐちあけたまへ(小町集)
 
ことわりや日の本なればてりもしつ あめが下とは人もいはずや
                            (月刈藻集 和泉式部)
 
あまの川苗代水にせきくだせ 天くだります神ならば神
                       (古今著聞集 五和歌 能因入道)
 
おほみたのうるほふばかりせきかけて ゐせきにおとせ河上の神
                     (新古今和歌集 十九神祇 賀茂幸平)
 
世をめぐむ道し絶えずば民草の 田ごとにくだせ天の川水(筆のすさび)
 
祈晴
吹払へ我賀茂山の峯の嵐 こはなをざりの秋の空かは(賀茂神主長明)
よしくもれくもらば月の名を立ん 我身一つの秋の空かは(思三好神主国助)
                               (三国伝記 五)
 
天津風あめの八重雲吹はらへ はやあきらけき日のみかげみん
                       (新撰和歌集 九神祇 卜部兼直)
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