08 祓禊・大祓・御贖節折・六月祓・臨時大祓
[祓禊]
祓はハラヘと云ひ、後世或は転じてハラヒと云ふ。穢を去り浄に就き、悪を除き善に遷
り、災厄を払ひ吉祥を求むるの義にして、字或は解除、又は払除を用ゐる。
禊はミソギと云ふ、身体を洗滌するの義にして、また凶穢を除き、吉祥を求むるに外な
らず。故に或は禊を称して祓と為す。
蓋し祓には自ら為すと人に科せらるゝとあり。伊弉諾尊の黄泉の汗濁に触れて、衣服冠
帯を脱去し給ひしは、自ら為すものにして、素戔嗚尊の鬚を翦キられ、爪を抜かれ給ひし
は、人に科せらるゝものなり。是各々祓の権輿なり。
而して伊弉諾尊の祓の後に海潮に入りて御身を滌ぎ給ひしは即ち禊なり。後世の禊は水
辺に之くに止まれども、実に此禊を以て濫觴ランショウとす。
祓禊には事前に行ふものと、事後に行ふものとあり。事前に行ふものとは、祭祀、奉幣、
祈禳、参詣等の事あるに臨みて、予め行ふものにして、事後に行ふものとは、多くは除
服の為にし、其の他焼亡、震雷、疾病、死穢等の後に行ふものなり。
上古、祓を以て人に科するは、殆ど贖罪の如きものにて、普通の罪をも罰せしが、後に
は神事の罪穢にのみ之を用ゐ、桓武天皇の朝には、其の制を立て、大上中下の四等に分
ちて、物を出さしめたり。
是より以前は、善祓悪祓ありて二重に之を科せしが、此時省きて一と為せり。
蓋し悪祓とは悪を去るを云ひ、善祓とは善に遷るを云ふならん。是より以来、常に此法
に依り、神職等を罰せり。
祓禊は、上に挙げたるが如く、神代に興りしものなれど、大宝令の大祓の文にも、東西
文部が漢文の呪文を読み、横刀を進ることを載せたれば、陰陽家の説を混じたるも甚だ
久しきことなり。其の後には陰陽の祓益々盛になり、加ふるに仏家の説をも雑へ、自ら
為すの祓禊は漸く其の本位を失ふに至れり。
是に於てか七瀬祓、河臨祓、上巳祓、中巳祓、神籬祓、及び百度祓、千度祓、万度祓、
若くは七座、四十座、八十座祓等の称起る。
七瀬祓は毎月之を行ひ、また臨時に之を行ふ。其の処三所あり、難波、農太、河俣、太
島、橘小島、佐久那谷、辛崎、之を大七瀬と云ふ。河合、耳敏川、松崎、石影、東滝、
西滝、大井川、之を霊所七瀬と云ひ、川合、一条、土御門、近衛、中御門、大炊御門、
二条末、之を加茂川七瀬と云ふ。
後堀河天皇貞応三年鎌倉幕府に於ても、また始めて霊所七瀬の祓を行ひ、由比浜、金洗
沢池、固瀬川、六連、柚河、杜戸、江島龍穴を以て充つ。
上巳祓、中巳祓は、三月の上巳中巳に、河に臨みて之を行ふなり。三月上巳の日、祓除
する由、既に漢書に見えたれば、彼国の風俗を移したるものなるべし。
百度祓、千度祓等は、陰陽師の輩僧尼の仏前にて誦経するに傚ひて始めたる事にて、神
前にて中臣祓詞を千度読むをば千度祓と云ひ、百度読むをば百度祓とも百座祓とも称す
るなり。此等の類は、祓と称すれども、祈祷を以て主とするものなり。
祓は物を出して之を贖ふものにて、其の物に数種あり。人形ヒトガタは其の人の身に代ふる
ものにして、之を以て身体を撫で、災厄を之に託して河海に流し棄つるなり。故に撫物
ナデモノとも云ふ。
菅と麻とは上世より用ゐしが、中世より麻のみを用ゐる事となれり。
稲及び散米は天尊降臨の時の故事に起り、茅輪チノワは素戔嗚尊の教に基づく、而して茅輪
をまた菅貫スガヌキと称して、之を潜り越ゆるは何の時に起りしかを審にせず。
解縄は大祓詞に、「天津菅曽を八針に取り割く」とある言に拠りて、後世造り出でしな
るべし。
塩水若くは塩湯を灑ぎ、また垢離掻等のことは伊弉諾尊の身滌の遺意か、猶ほ此篇は大
祓触穢等の篇を参看すべし。
祓所神
はらへどの神のかざりのみてぐらに うたてもまがふみゝはさみかな(紫式部集)
天罪国罪之別 六月はらひ
夏草にはらひかくれど久堅の あまつつみとは露やけぬらん(源順集)
以祓罰人
やまのへの こしまこゆゑに ひとねらふ うまのやつけは をしけくもなし
(日本書紀 十四雄略)
事後祓禊
ふぢごろもながすなみだのかはみづは きしにもまさるものにぞありける
(蜻蛉日記 上)
かけきやは川瀬の波も立かへり 君がみそぎのふぢのやつれを
御かへり
ふぢ衣きしは昨日と思ふまに けふはみそぎのせにかはるよを
(源氏物語 二十一乙女)
かなしさの涙もともにわきかへり ゆゝしき事をあみてこそくれ
みそぎしてころもをとこそ思ひしか 涙をさへもながしつるかな
(散木葉謌集 六悲歌)
三月上巳禊
しらざりしおほ海のはらにながれきて ひとかたにやはものはかなしき
(源氏物語 十二須磨)
[次へ進んで下さい]