07 郊祀・雑祭・淫祀
 
[郊祀]
郊祀カウシとは、郊野に円丘を築きて昊天を祭り、其の祖を天に配祀するを云ふ。故にまた
円丘祭とも云ふ。支那の祭法に彷(人偏+方)ふなり。
我邦に於ては、神武天四年、天神を鳥見山中に郊祀すること見えたれど、固より支那に
彷ひしにあらず。その支那の法に依りて郊祀を行ひしは、歴朝の間に於て、桓武文徳の
両天皇のみ。
 
[雑祭]
宮羊(口偏+羊)祭ミヤノメノマツリは、不祥を退け幸福を求むる為にして、正月十二月の初午
の日を以て祭ること普通なるが如しと雖も、此外に行ふこともあり。
其の祭神は高御魂命、大宮津彦、大宮津姫、大御膳津命、大御膳津姫、及び笠間の神の
六柱なり。供物此数に従ふ、また此男女の神の形を作りて、染絹の衣を著せしむ。
而して宮主の座は斗を伏せて其の上に砥を置く、宮主之に尻を懸けて祭文を読むなり。
 
月待、日待、代待、酉待、巳待の待は、マツリと云ふ語の約まりてマチと為れるなり。
即ち月待は月を祭り、日待は日を祭り、代待は人に代りて祭り、酉待(俗間酉ノマチと
云ふ)は十一月酉日の鷲神社の祭祀、巳待は己巳の日に弁才天を祭るなり(庚申の日三
尸を祭るを庚申待と云ふ)。
初卯は正月初卯の日の祭にして、摂津国住吉神社、江戸本所妙義社に於てし、初午は二
月初午の日を以て稲荷神を祭り、甲子祭は、甲子の日を以て大国主神を祭るを云ふ。
十日恵美須と二十日恵美須とは、倶に恵美須神を祭るものにして、一は正月十日を以て
し、一は十月二十を以てす。十月二十日祭をまた恵美須講とも云ふ。
酉待より以下は、皆祭日を挙げて之を称するものなり。
 
吹革祭は、鍛工の祭る所にして、棟上祭は工匠が人の為に家屋を新築し、上梁の時に祭
る所なり。箭祭は、武人初めて狩猟して獲る所あるに由り、山神を祭るを云ふ、また矢
開とも云ふ。
雷公祭風神祭は、豊稔を祈るに外ならず。
鎮祭には、多種あり、水神を鎮め、御在所を鎮め、山陵及び山岡崩壊を鎮め、宮地を鎮
むる等あり。
 
田祭は、春時に田を祭るを云ふ。此日郷飲酒の礼を行ふ。田神祭は、十一月丑日に行ふ。
田祭の余風なるべし。
凡そ此篇に載せたる所は此に止らざれども煩しければ一々弁ぜず。
 
宮売祭ミヤノメノマツリ
あめにますかさまのかみのなかりせば ふりにし中をいかでとはまし(実方朝臣集)
 
初午
はつ午の大鼓にあらで鳴る耳の おとろふる身もはやしとぞ思ふ
初午のどろつくなかに商ひの 道はぬからぬあめのふりうり
いほ崎に人も大鼓もどろつくは 田中の神(三囲稲荷)のはつ午ぞこれ
                              (我おもとろ 上)
 
紫野今宮祭
白妙のとよみてぐらをとりもちて いはひぞ初る紫の野に
今よりはあらぶる心ましますな 花の都にやしろさだめつ
                     (後拾遺和歌集 二十神祇 藤原長能)
 
筑摩祭
あふみなるつくまのまつりとくせなむ つれなき人のなべのかずみむ
                         (伊勢物語 下 拾遺和歌集)
 
あふみなるつくまの祭とくせなん つれなき人のなべのかずみん(和歌色葉集)
 
おぼつかなつくまの神のためならば いくつかなべのかずはいるべき
                    (後拾遺和歌集 十八雑 藤原顕綱朝臣)
 
いかにせんつくまの神もうづもれて つみせんなべの数ならぬ身を
                            (散木葉謌集 六神祇)
 
鵜坂祭
いかにせんうさかもりにみはすとも 君がしもとのかずならぬ身を
                            (散木葉謌集 六神祇)
 
[淫祀]
淫祀には、法に於て祭ることを得ざるものあり。当に祭るべらかざるものあり。之を祭
るは皆淫祀なり。
此篇には当時之を禁じ之を論じて以て淫祀と為しゝ者のみを挙げ、可否を其の間に措か
ず。淫祠の如きもまた然り。
 
淫祀
うづまさは かみともかみと きこえくる とこよのかみを うちきたますも
                           (日本書紀 二十四皇極)

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