11 日本の神々と易・五行〈その10〉1
日本の神々と易・五行〈その10〉
参考:岩波書店発行「神々の誕生」
【易エキ・五行ゴギョウとはなにか】
〈はじめに〉
易は約五,六千年前に成立したという古代中国の思想哲学,或いは科学でもあって,
その陰陽思想から発展した五行思想を併せて,占いのみならず広く道徳・学術・宗教の
基となり,儒教・道教・方術等の盛行をもたらしたのでした。
日本国家の搖籃期において,後進国たる日本の識者達が文字通り寝食を忘れて大陸文
化の導入摂取に明け暮れた当時,易の理解はその中心課題であったと考えられます。そ
の様相は正史の記録からも窺うことができますが,その歴とした証拠は,最古の古典で
ある「古事記」「日本書紀」(以下「記紀」ともいう。)の冒頭の序文の内容です。
中国の創世紀は即ち易の思想に拠るものですが,その説くところは原初唯一絶対の存
在を混沌(太極)とし,その中から派生した陰陽の二大元気が天地となった,とします。
これはそのまま「記紀」に記述されていますが,正に中国のそれの引写しです。更に
「日本書紀」の橿原奠都の詔には,「屯蒙」「大壮」「随時」「養正」など,易の引用
が至るところにみられます。
日本の創世紀といい,初代天皇の奠都の大詔といい,国家の太初に関わる何れの場合
にも,それらが易の哲学を基に記述されていることは,古代日本の深層に易が根を深く
下ろしていることを物語ります。
私共が自分の国の昔を知ろうとするとき,重要なことは祖先達が何を信じ,何を規準
として生きてきたか,その精神生活の中心を求めることにあります。古人の遵奉してい
たものが,たとえ迷信に過ぎず,また非科学的なものであったにせよ,先ず以てそれら
を学ぶ必要があります。
民俗学の分野における限り,古代理解のために先人が信を寄せていたところ,規準と
していたところを求めるとすれば,それは或いは祖先神に対する篤い信仰,或いは外か
ら寄り来る神に対する畏敬の念が挙げられ,考えられてきました。
それらの神々に対する信仰も勿論ですが,それらと並んで,ときにはそれらに優って
古人が心を寄せていたものは,「理」即ち「易の理」であったと思われます。
災害の多いこの列島に住み,稲作を生産の基本とする祖先達に執って,その最大の祈
りは日照降雨の均衡,風水の無事でした。易の理は正にその自然の正しい輪廻を説くも
のであって,これ以上,日本人の生活に適フサワしい教えを日本民族は知らなかったので
す。その理とはどういうものでしょうか。
原初唯一絶対の太極から派生する陰陽の二大元気は,細分化を重ねて森羅万象の中に顕
現します。有形無形を問わず,万物万象は悉く陰陽の二元気,更にはそれから派生した
木火土金水の五気に還元されます。
例えば一年という無形の時間も,陰陽に還元されて冬至→夏至は陽,夏至→冬至は陰
とします。五気に還元されますと,春は木気,夏は火気で以上の2季は陽,秋の金気,冬
の水気の2季は陰で,この四季を循環させるものとして,事物を生かすと同時に殺す両義
作用を持つ土気が据えられています。
この陰陽,或いは五行の循環がその時宜を得て順当ですと,豊作は疑いなく,民生の
保証,国家の安寧にそれは繋がる訳なのです。
このようにみればこの理は当然,神格化され,神霊化し,神に祀られることによって
理は活性化し,活発に働きます。例えば木火土金水の各気はそれぞれ,日となり水とな
り,日神となり水神となります。
人間も例外ではありません。年齢によって人は八卦のうちの「兌ダ」となり「艮ゴン」
となり,「離リ」となり「巽ソン」となります。兌と艮は男女の幼児ですが,「兌」は「沢
」を象徴する聖童女の故に,「井」「川」の神,或いはそれの祭祀者となり,また易に
おいて大神を象徴する「乾ケン」卦に最も近くに居るために,幼い女子の身を以て,最貴
最高の巫女となります。「艮」の童男は土気の故に,土気の必要な時季には神として遇
され,春季のように土気が死なねばならないときには,殺される破目にもなるのです。
表面は神とはなっていても,その神は理の神霊化であって,底にあるものは理以外の
何物でもありません。
この「理」の神霊化による祭祀は,日本古代において災害に対するものであることも
重要な要素ではありますが,皇主の絶対権宣揚とその実現に向かって,より多くその効
果が期待されているのです。
1 易の成立
易は中国古代古代の聖王である伏羲フッキが天地の理を察して八卦ハッカを画し,後にこれ
を重ねて六十四卦に大成したといわれています(異説もある)。
周の文王(紀元前12世紀)は,各卦を説明する辞コトバである卦辞カジ(彖辞タンジともい
う)を作り,文王の子の周公は,この卦の構成分子である各爻辞コウジ(即ち象辞)を作
ったといわれ,以上を易の本文とします。
(1) 八卦
伏羲が八卦を作ったということについては,「繋辞下伝」に,
「古イニシエ,包犠氏(伏羲と同じ)の天下に王たるや,仰いでは象を天に観ミ,俯して
は法を地に観,鳥獣の文と地を観,近くはこれを身にとり,遠くはこれを物にとる。
ここにおいて始めて八卦を作り,もって神明の徳を通じ,もって万物の情を類す。」
とあります。
これが「仰観俯察」の説ですが,なおこのほか伏羲が王になると天から河図を受けて,
これに則って画いたものとか,或いは占筮センゼイの蓍メドギを神聖視してこれをこれによ
って伏羲が易理を発明したとか,大体以上の3説があります。何れにせよ伏羲が初めて八
卦を画したということにはなっていますが,確実な証拠がある訳ではありません。
(2) 十翼
「十翼」の作者は孔子とされています。「翼」とはたすける,の意で前述の易の本文
の意義を解説するのがこの十翼です。それは全部合わせて十篇あるので十翼という訳で
す。その内訳は,
「彖伝タンデン」(上・下)
「象伝ショウデン」(上・下)
「繋辞伝ケイジデン」(上・下)
「文言伝ブンゲンデン」
「説卦伝セッカデン」
「序卦伝ジョカデン」
「雑卦伝ザッカデン」
の十篇で,「伝」とは解説の意です。
(3) 各「伝」
「彖伝」 − 「彖辞」の解説。彖辞は各卦の解説であるから,彖伝はその解説のま
た解説ということになる。
「象伝」 − 大象・小象に分けられ,象辞の解説が象伝。
「繋辞伝」− 易の総論,概論である。
「文言伝」− 「乾ケン」と「坤コン」の卦の特別に詳しい解説書。
「説卦伝」−文字通り卦の説明。前半は易全体の要約。後半は八卦の象徴するものを
数多く示す。本書ではそのうちから種々引用した。
「序卦伝」− 易の六十四卦の順序の理由付け。
「雑卦伝」− 六十四卦の特色を要約。
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