04a 日本の神々と易・五行〈その3〉
 
3 門松
(1) 門松の定義
 「門松は,歳首,松を門前に立て,飾とするを云ふ,故に後には又これを松飾りとも
称せり。而して歳尾にこれを立て,正月七日に之を徹するを以て,元日よりこの日まで
を松内と称す。しかれども或は十五日の爆竹に至るまでこれを存するものあり。」と「
古事類苑」にありますが,その起源については明らかにされていません。
 
(2) 門松の歌
 堀河天皇(1086〜1107在位)時代から門松を詠んだ歌が散見されます。
  「堀河御時百首」除夜「門松をいとなみ立つるその程に春明がたによやなりぬらむ
  」藤原顕季
  「林葉集」「春にあへるこの門松をわけ来つつ我も千世経むうちに入ぬる」俊恵シュン
  エ法師
  「家集」元日聞鴬「しめかけてたてたる宿の松に来て春の戸明る鴬の声」西行法師
  「拾玉集」五「わが思ふ君がすみかの面影は松たつ門の春のけしきに」源頼朝
  「徒然草」「あけゆく空のけしき,昨日にかはりたりとは見えねど,ひきかへめづ
  らしき心地ぞする。大路のさま,松たてわたして,はなやかにうれしげなるこそ,
  又あはれなれ。」兼好法師
  
(3) 門松の民俗資料(抜粋)
 ア 煤払・松迎・松たて
 福島県南会津郡などでは,十二月十三日に煤払・松迎・松たてを行います。
 イ 年神様としての松
 岐阜県益田郡では,長さ7,8尺もある5階(段)松を1本立て,その中央の枝には2
階(段)松1本を結び付け,この松を「年神様」と呼んでいます。
 ウ 正月様としての門松
 愛媛県上浮穴郡では,十二月十三日に「松むかえ」をし,それを門松として立て「正
月様」を迎えます。
 
(4) 正月と松
 ア 松の神聖性
 松は単なる正月飾りだけではなく,それが神聖化されてお松様,正月様,年神様とし
て祀られてきました。
 前述中特筆されるものは「十二月十三日」という日取りです。この日は「松迎え」「
煤払い」「正月事始」など,全国的に選用されています。
 イ 十二月十三日の意味
 旧十二月は丑月で,十二月十三日頃は土用の入りに当たります。
 土気の作用は,万物を育むと同時に万物を葬り去るものです。この土気の両義性は四
季の循環においても,旧年と新年との時の推移・転換に際して期待され,その結果土用
は各季の終わりにおかれます。つまり土用には去るべきものを去らしめ,来るべきもの
を生み出す力があるために,「四季の転換」と「一年の循環」の原動力となるものは,
専らこの土用の作用にあるとされていました。
 更に先祖の人々は念を入れ,松は八白・丑寅,つまり松の中には「丑」があり,「丑
」の中には土気があります。従って季節及び年の転換呪物としては,松だけでも十分で
あるにも拘わらず,丑月の土用入りに山から松を迎え,松に内在する土気の相乗効果を
狙ったものではないかと推察されます。
 ウ 正月の松と「五」と「二」
 前述のように,松には「五」とか「二」の数がつきまとっています。
       九星図
        北
   ・・・・・・・・・・
   ・  ・  ・八白・
   ・  ・  ・土気・
   ・・・・・・・・・・
  西・  ・五黄・  ・東
   ・  ・土気・  ・
   ・・・・・・・・・・
   ・二黒・  ・  ・
   ・土気・  ・  ・
   ・・・・・・・・・・
        南
 上図は九星図で,八白土気・五黄土気・二黒土気の三種の土気が中央を斜めに貫通し
ています。本来八白土気である松に更に「五」と「二」の数を加えることは,三種の土
気全ての集合を意味し,なおその上,家屋の中央の炉端ということになれば,それはこ
の松の土気の呪力の一層の強化を図っていると推測するしかありません。中央は土気の
方位であると同時に,「火生土カショウド」の理で,火と土の関係は最も濃厚で,この正月
の松には可能な限りの土気強化の呪術が施されているとみなされるのです。
 
(5) 法則の神霊化
 このように松を正月の神,年穀の神として祀りますと,松に内在する転換の法則は自
然に作用ハタラき出すと認識されてのことであって,全ての法則の神霊化の致すところなの
です。
 四季の各季の終わりの18日間に配当される土気は,要するに季と季の間の中央に位す
るので,取りまとめて作図する場合,土気は常に中央に置かれます。土気は各季の,然
も中央に配当されますので,土気は「四季に王たり」と称せられる所以です。
 そういう意味において正月の松は,門松よりも寧ろ家屋の中央に祀られるのが古態で
あったろうと考えられます。そして松は解字すれば「十八公」,これは各季に配当され
る「十八日間の土用の公キミ」とも受け取られるのです。
 
(6) 松と鬼
 ア 鬼木オニギと門松
 愛知,静岡,長野その他各県では正月十五日に「鬼木オニギ」(又は幸木サイギともいう
)といって「十二月」と書いた薪を焼く行事があります。
 この薪(鬼木)は,松迎えの松と一緒に山から採って来て,門松に立て掛けられ,門
松と親縁関係にある正月の呪物です。
 「修正会シュショウエ」などにおいて鬼が松明タイマツを振り回したり,松明の周囲を周メグった
りするように,鬼会と松とは密接な関係にあります。
 イ 御薪ミカマキ
 「鬼木」・「幸木」の起源は,天武4年制定の「御薪」に求められます。「日本書紀」
天武の項に,文武の官人は長さ7尺の「御釜木」をその位に応じてそれぞれ進献したとあ
ります。
 五行の法則によれば正月,即ち寅月は「火の始め」で,寅月15日百官による薪の奉献
は,この萌キザした火気の重視を,挙国実践すべしという天武天皇の意志表示として受け
取られます。火気は豊作の絶対条件である日照に還元されるからです。併せて自身の徳
を,五徳終始説によって「火徳」と捉えていた天武天皇は,自身のためにも萌した火気
をこの上なく重要視した結果であると思われます。
 ウ 「松」と「鬼」の同一性
 「丑寅」の鬼と,「八白」の松は,易の艮卦ゴンケによって統括され,その本性を同じ
くするものです。本性を同じくするものは,その作用ハタラキを等しくします。先人達が酷
く拘ったのは,そのものの中に内在するする力と,その作用です。表面上その姿形が如
何に異なっていても,本性とその力,作用を等しくするものは互いに同類なのでした。
 艮卦は山を象徴しますので,丑寅の鬼の棲処スミカは山でなければならないし,正月の松
もまた必ず山から伐って来るものとされ,その松は正月様なので,「正月」は山から来
るものと考えられるのです。
 鬼は「春を招ヨぶ神霊」として迎春の祭りの主役であり,松は旧年の丑月に伐られて寅
の正月を迎えるための神即ち「正月の神」として,両者の作用ハタラキは等しく,その関係
は不可分で相即不離の間柄なのです。
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