04 日本の神々と易・五行〈その3〉
 
            日本の神々と易・五行〈その3〉
 
                       参考:岩波書店発行「神々の誕生」
 
U 松霊の誕生
 
1 松信仰序説
(1) 松と日本人
 古来日本人は数ある植物の中でも,松に特別の想いを寄せ,正月の門松,祝儀の飾物,
庭園の造作植込,衣裳その他の文様等々,其処に生ナマの松,拵コシラえものの松,造形化さ
れた松など,身の廻りには何時も何らかの形で松は溢れています。
 松は,四季を通じて変わることのない常緑樹として,風雪に耐えて千年を越す樹齢の
ものもあって長寿の象徴として,縦横に均整のとれた樹形や横に差し出た枝振りなどは
庭園の中でも王者の風格を備えているなど,人々はその中に神霊さえ感じ,神格化され
るに至っています。
 本稿では,この松の神聖視を法則による松の神格化として捉え,その過程を易・五行
に照らして探ってみましょう。
 
(2) 「松」字の意味
 松の異名は,中国秦の始皇帝の故事による「五大夫」ではその形容から「支離叟」「
蒼髯叟」などがあり,解字としては「十八公」がよく知られています。
 松を偏ヘンの「木」と旁ツクリの「公」に分けると,別の意味も生まれてきます。即ち「公
」はその古字から「八白」となり,松は「八白の木」ということになります。
 「八白ハッパク」は九星において重要であるので次に述べます。
 
(3) 八白土気
  「北の正当より15度東,東の正当より15度北の天地の間60度を指して,「艮ウシトラ」
  の方という」
  「艮の方はこれを世俗に鬼門ともいう」
  「先天艮方の天地の気を三碧木気となす」
  「後天艮方の天地の気を八白土気となす」
  「八白土気は,
   日に執っては丑刻寅刻,午前1時より午前5時まで,
   年に執っては丑月寅月,旧12月,旧正月,及び立春,雨水,啓蟄,春分の節とし,
   四季に執っては,秋の墓と夏の生とを兼ぬ」
  「八白土気は天地の陰気の終と,陽気の始とを兼有するものにして,即ち森羅万象
  の始終をなすべし」
  「太陽日々下降の最終を丑刻といい,之が昇騰の最始を寅刻という。即ち午前2時中
  心の2時間を丑刻となし,午前4時中心の2時間を寅刻とす」
  「陰気旺相の最終を丑満刻と称し,陽気上昇の最始を暁,黎明と称す」
  「鬼門とは鬼の棲処に非ず,場所形体を指すに非ず,唯,天地八白土気の軌ミチを指
  すのみ」
  「宇宙八白土気の司配する軌を概述すれば左の如し
   継目,相続,変化,少男,改革整理,節,家,山岳,止」
 
2 子日ネノヒの松
(1) 子日資料
 「子日ネノヒ
 子日ネノヒは,古イニシへ正月子の日に高きに登りて遠く四方を望み,以て陰陽の静気を得
るに基づくといふ。我国にてはその第一の子ネを初子ハツネといひ,第二の子を弟子オトネとい
ふ。もし子の日,三あるときは中子ナカネを用ひ,あるひは二月に之を行ひしことあれど
も,初子を以て主とするなり。この日,朝廷にて宴を賜ひ,野に行幸し給ふことあり。
故に臣庶にありても,亦野外に遊び,小松を引き,若菜を摘むを以て例となす。」
と「古事類苑」にあります。
 子の日に子松を引く慣わしについてはこの他に「倭訓栞」,紀貫之キノツラユキの「土佐日
記」,壬生忠岑ミブタダミネの「拾遺和歌集(春)」などにもみえます。
 
(2) 松と「八白」と「丑寅」
 「子日」は,このように奈良時代から平安にかけて当時の貴族たちの間に非常に流行
した正月行事でした。
 この行事は「正月(寅月)初子日に,野に出て小松を根引くこと」で,根引いて来た
小松を自家の庭などに植えるのですが,童児が此処に登場します。
 「松」に潜むものは「八白」で,八白の意味は前述のように,
  「継目・相続・少男・家・山」
 易では,
  「艮(丑寅)」
です。
 古来日本人が重視したものは「家の存続」と「後嗣」でした。それ故にこのことを意
味する松,それも少男を象徴する「小松」が尊重され,人々は野に出て,初春の子日の
一日を小松引きに興じたのでした。
 子月ネノツキは冬至を含み,一陽来復のときで,陰が尽きて陽に転じ,それは人に執れば
生命が新たに萌キザして妊ミゴモる,ふえる,という象です。
 「寅」は一年の始,陽気の始,木気と火気の始,妊られた生命が「うごき始める」象
意を持ちます。
 「松」は八白の丑寅なので,それは暗黒の「子」「丑」を経て,光りの「寅」への軌
ミチを象カタドり,同時にそれは童男の後嗣ぎが次代への継目を為す象でもあります。
  子の日する野辺に小松のなかりせば千世のためしに何をひかまし
 「子日の今日,もし野辺に小松がなかったとしたら,いく世代にもわたって家が栄え,
つづいてゆく手本として,一体何を引いたらいいのだろう。松以外にはこの呪力のある
ものは何もない」と,この歌は子日の風習の真意,及び「松」に寄せる古人の心情を余
すところなく述べているのです。
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