03a 日本の神々と易・五行〈その2〉
 
(3) 鬼門としての丑寅
 比叡山延暦寺は皇城の東北たる丑寅の鬼門鎮護のため,桓武天皇の御代ミヨに伝教大師
によって創建された寺です。
 寛永2年創建の東叡山寛永寺もまた,江戸城の鬼門を守る目的で上野忍ケ岡に営まれた
寺でした。更に幕府は鬼門対策として未だ足らずとして比叡山に準じ,筑波山を鬼門封
じの祈願所としました。
 これらは何れも天下国家の鬼門としての丑寅ですが,個人の居宅においても丑寅が鬼
門として畏怖され,此処には厠などの不浄の場を設けることは忌避され,また井戸,門
などの出入口も極力避けられ,今日に及んでいます。
 ア 四門と鬼門
 方位は東西南北の四正と,東北・東南・西南・西北の四隅を合わせて八方位となりま
すが,この四隅のうち,
  西北(乾)を天門
  東南(巽)を地門(地戸)
  西南(坤)を人門
  東北(艮)を鬼門
とします。
 東北の丑寅は,鬼門という名の故に畏怖の対象となっているものです。
 イ 鬼門についての諸説
 鬼門にはおよそ次の4説,即ち@山海経サンガイキョウ説,A変化宮ヘンカキュウ説,B空亡クウボウ
説,C相剋ソウコク説があります。
 そのうち山海説は鬼門の説明によく援用され,その大要は「東海に度朔ドサク山という
山あり,その山上に巨大な桃の木がある。その東北に鬼門という門があるが,ここはあ
りとあらゆる悪鬼の集会所である。天帝は二人の兄弟神に此処を守らせ,鬼が人を害ソコナ
うことがあれば,捕らえて葦の縄でしばり,虎の餌食とさせた」です。この説は,延暦
寺の創建にも影響を与えたとみられています。
 変化宮説は,「丑寅の鬼門」とは方位,つまり空間に関わることです。しかし陰陽五
行においては時間と空間は常に相即不離ですので,空間としての丑寅の鬼門は,時間に
置き換えて推理することができます。つまり月でいえば丑月(旧12月),寅月(旧正月
)で新旧の年の分岐点,季節では丑月は冬で陰気の終,寅月は春で陽気の始ということ
です。要するに丑寅の時間によって象徴されるところのものは,日・年・季節を問わず,
常に陰陽の交替・変化です。この時間における「変化」の象意はそのまま空間,即ち方
位に持ち込まれ,その結果丑寅の方位は「変化宮」として恐れられ,取り分け気学派に
よってこの「鬼門変化宮説」は協力に支持されています(他の2説は省略)。
 
(4) 鬼門の意義
 ア 軸
 鬼門は,天門・地門・人門・鬼門の四門のうちの一つです。
  天門 − 乾ケン 戌亥 天 西北
  地門 − 巽ソン 辰巳 風 東南
  人門 − 坤コン 未申 地 西南
  鬼門 − 艮ゴン 丑寅 山 東北
 天門・地門の西北対東南の軸は「天地往来の自然の仕組を示す軸」と考えられます。
人門・鬼門の西南対東北の軸は「生死の軸」,つまり人門がこの現世の領域を示すとす
れば,鬼門は彼世を象徴するものとして受け止められます。
 そこで天門・地門軸と,人門・鬼門軸を比較すれば,
  前者は天地という「不変の定位」を示し
  後者は人間における「変化の運命サダメ」を示す
ものとして理解されます。
[次へ進んで下さい]