03b 日本の神々と易・五行〈その2〉
 
(5) 人間と鬼
 ア 鬼キは帰キ
 人間には死があり,死によって人間はその形を失います。形あるものと,形のないも
のは同一ではなく,区別されるべきものです。つまり死者と生者は互いに異次元のもの
で,それが人と鬼という差別になります。
 この人と鬼の棲み分けの表示が,人門と鬼門であり,この二つの門によって形成され
る軸が生死の軸ということになるのです。
 「鬼は帰なり。古は死人を帰人と為すと謂う」(「五行大義」巻3)と中国古代哲学は
鬼を定義付け,「鬼即帰キソクキ」といって死者を帰人としています。「帰」とは,其処か
ら出て行ったものが再びその元のところに戻って来ることの謂です。元のところとは,
そのものの本来の居所ですので,そうなれば帰人,即ち死者こそ本来的・第一義的人間
であり,生者はそれに次ぐ仮の存在,第二義的人間に過ぎないことになります。
 日本では,「和妙抄」よると鬼の和名は「於爾オニ」で,「物に隠れて顕アラわるること
を欲せざる故に,俗に呼びて隠オニと云ふなり」と説明されています。
 イ 丑寅の境と鬼
 鬼の出入りする鬼門は丑寅の方位です。易・五行では時間と空間は相即不離なので,
方位の丑寅は時間の丑寅でもあります。
  丑 − 午前1時〜3時 真闇
  寅 − 午前3時〜5時 闇〜明(薄明)
 丑寅は,昨日と今日,去年と今年,旧冬と新春などの境は日常生活のうちに常に実感
され,経験されるところの同次元に属する時間空間上の境です。
 ウ 異次元の世界の境としての丑寅
 丑寅に含まれる境は,次元を異にする世界をも包含します。
 @真闇から暁の薄明へ
 A昨日から今日
 B旧年から新年
 C旧冬から新春
 D水気(土気をも含む)から木気へ
 このように「闇」から「光」へ,「去るもの」から「来るもの」,つまり「陰から陽
へ」という,次元を超克したもの,即ち人門と鬼門が生死の軸になるのも,その超克の
結果であるといえます。
 この丑寅の事象を象徴する鬼,或いは牛と童児は,現世の内側の境,即ち旧年と新年
の交替の呪物ともなり,また現世の次元を越えた生と死の境においても,例えば天皇の
世代交替たる葬儀にも関わる呪物にもなるのです。
 また丑寅の特性は,
  「陽」の前にあるものは「陰」
  「光り」の前にあるものは「闇」
ということにもなります。
 その主とするものは「光り」よりは「闇」で,陰あっての陽,闇あっての光りという
ことになり,闇が重要になります。そして此処に「闇にかくろえるもの」と定義される
鬼が神聖視され,尊ばれる所以があるのです。
 エ 「丑寅」の実相と「人間の生誕」との相似
 丑寅の実相,即ち「光りの前にある闇」と「闇から光りへ」の運動はそのまま人間の
生誕,つまり人間の初発ハジマリにも当てはまります。換言すればそれらは悉く人間の生誕
の経緯に一致し,互いに相似なのです。
 生命の萌キザすところ,初めて宿るところは母の胎という無明の空間です。しかし其処
は完全な闇ではなく,出入口はあり,時が至れば生命は光りの中に送り出されます。鬼
門の丑寅も暗黒の闇ではあるが,完全な無明ではなく,曙の光りを兼ねているのです。
 母の胎は,異次元の光りの中に生命を送り出す活力(エネルギー)を内在させている
が,丑寅の時間空間もまた,闇黒から光明への転換の活力を内蔵しているのです。繰り
返しますと,生命はその初発の本源を「静」と捉えれば陰が始め,陽が後の形で併存し,
「動」としてみれば陰から陽への活力と,それによってもたらされる活動がみられると
いうことがいえます。
 「鬼」によって象徴される丑寅の時間空間の在りようは,生命の初発の本源のそれと
相似であって,両者の特色を取りまとめると,
 @前と後の関係で陰陽の併存するところ
 Aその動きは陰から陽へ
 Bこの変換の活力の篭もると同時に始動するところ
ということになるのです。
 オ 人の生誕と神の顕現
 神の顕現においても人間の生誕と同様で,日本の祭りの要諦は神迎えと神送りです。
 神の顕現の前,つまり祭り前には必ず祭祀者による真摯かつ長期の「こもり」を行い
ます。この篭もりは,日本民俗学で説く穢れを忌むために日常生活からの隔離ではなく,
それは人間の生誕の道程の擬モドきであって,また原始蛇信仰における祖神としての蛇の
脱皮新生の生態の擬きでもあります。更に極めて重層的な日本祭祀儀礼の視点からみれ
ば,「こもり」はまた,丑寅の象徴としての「鬼」,「かくろえるもの」の「まねび」
でもあるといえます。
 万物の発するところ,帰するところは決して露わではなく,幽玄であって,鬼がとき
に祖霊の様相を呈するのもこの理由によるものです。
 中国古代哲学は一陰一陽の存在と,その消長・交替を以て宇宙,及びその運行の根本
原理とします。天地間の万物万象はその有形無形を問わず,この原理からの逸脱は許さ
れず,四季の推移も人の一生も全てこの理によって推移するものとして考えられていま
す。
 天皇も同様,一代毎の新旧交替によってこそ,連綿と続くべきその永遠性は保証され
るのです。前代の先帝を陰とすれば,現在の新帝は陽で,一代が終われば次の新帝の御
代が始まります。
 鬼の子孫という「八瀬の童子」は,この陰陽交替の呪力を内在させている呪物です。
この「八瀬の童子」が天皇の即位と大葬という陰陽交替の両儀に参与するのは当然のこ
とで,日本民族の天皇命構造理念は,茲にはっきりと窺われるのです。
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