03 日本の神々と易・五行〈その2〉
 
            日本の神々と易・五行〈その2〉
 
                       参考:岩波書店発行「神々の誕生」
 
【俗信の神々の誕生】
 
T 鬼の誕生
 
1 鬼と人間の生死
(1) 「鬼」と「童子」 − 柳田国男氏の問題提起
 大葬(天皇の葬儀)に際しては,京都の八瀬ヤセの住民が,特に天皇の霊柩を納めた「
葱華輦ソウカレン」という輿コシを舁カくことになっています。この八瀬は比叡山の西麓に位置
します。比叡山延暦寺は王城の鬼門を護る寺として創建され,この辺りは都の東北で,
「丑寅の隅」という意識を持たれている地域です。高野川に沿った山峡の八瀬の人々は,
成年男子であるにも拘わらず「八瀬の童子」と呼ばれ,自ら「鬼の子孫」と名乗り,他
からもこの異称の主として遇されてきました。
 八瀬の童子は,大葬に特別に奉仕するほか,天皇即位の際のご大典には「鳳輦ホウレン」
という輿をも舁くという,禁裡の吉凶,つまり両極の儀に参与するのです。
 天皇の名称は,北極星の神霊化たる天皇大帝に基づくものであり,北極星は宇宙の中
核たる太極の神格化ですので,天皇とは最高の宇宙神の謂いイイなのです。一君万民を建
前とした日本においては,天皇家は国民の宗家であって,国民という凡百の分家の頂点
に位すると考えられていました。
 この宗家の世代の交替に関わるものが八瀬の「鬼の子孫」といわれる「鬼」であると
同時に,「童子」とも称される住民なのです。其処で要約しますと,天皇の世代交替に
関与するものが「鬼」と「童子」ということになるのではないでしょうか(柳田国男氏
は「鬼の子孫」でこのことを問題提起)。
 「鬼の子孫」の要点は,
 @八瀬の人々は自ら「童子」といい,また「鬼の子孫」と名乗ってはばからない。
 A伝教大師以来,叡山の高位の僧は牛車を「八瀬の童子」に預け,牛を飼わせ,牛童
  として使役した。
 Bしかし後世の記録に牛童はなく,その多くは禁裡駕輿丁に関するものである。
 Cその風体は老いても惣髪を束ねて背後に垂れ,「童子」の名に相応しい風である。
 D八瀬村民の名には国名(若狭・和泉など)を付け,6,70歳でその名跡ミョウセキを譲った
  後,初めて元服して通常の名(何右衛門・何兵衛など)を付ける。
 
(2) 牛と童児
 「八瀬の童子」の名称も「鬼の子孫」の異名も,また乗物に奉仕の縁由も全ては牛飼
童に始まり,この牛飼童の始源こそが問題解明の手がかりになります。
 ア 八卦象徴事物一覧表と童児
 
         八卦象徴事物一覧表
    自然 性状 人間 方位(先天) 方位(後天)  五気
 乾ケン 天  剛  父   南      西北     金気
 兌ダ 沢  説  少女  東南     西      金気
 離リ  火  麗  中女  東      南      火気
 震シン  雷  動  長男  東北     東      木気
 巽ソン 風  入  長女  西南     東南     木気
 坎カン 水  陥  中男  西      北      水気
 艮ゴン 山  止  少男  西北     東北(丑寅) 土気
 坤コン 地  柔  母   北      西南     土気
 
 この八卦象徴事物一覧表は,八卦が天地山沢のような自然の事物事象や,父母長男長
女の如き家族関係にも配当されている表です。
 イ 易における童児の性状
 上表などから童児(少男)の様相は,
 易   − 艮ゴン  山 少男(童男) 東北(丑寅)
 九星  − 八白土気
 十二支 − 丑寅(牛虎)
です。
 つまり童児・東北(丑寅)・牛は互いに象徴関係にあり,相即不離で,童児・牛・丑
寅は一体です。
 
           方位と十二支
 
             北                         
             子                         
      西北  亥     丑  東北                  
                                       
        戌         寅                    
                                       
     西 酉           卯 東                 
                                       
        申         辰                    
                                       
      西南  未     巳  東南                  
             午                         
             南                         
 
 比叡山もその麓の八瀬も共に方位は都の丑寅に当たり,この縁由によって叡山の高位
の僧の牛車の牛は,牛飼童共々八瀬から調達されたのです。禁裡の駕輿丁に奉仕する八
瀬の里人がその名に童を称し,姿形にも童形を示していたのは,その始め,比叡の僧の
牛車に関わったからで,後に牛車が輿に替わっても依然としてその風は遺されたのでし
た。
 牛飼童が成人しても童形であるのは,八瀬童子に限らず古儀に共通することで,例え
ば「菅原伝授手習鑑」における牛飼舎人の梅王・松王・桜丸の三兄弟は歴とした成年男
子であるが,童子格子の衣裳に,童形の拵コシラえで現れるのです。
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