02b 暦 − 暦法とは
 
〈紀年法キネンホウ〉
 ある定まった時点から年を連続的に数える年数を,紀元キゲン年数といいます。この起
算の基となる時点を紀元といい,紀元年数を以て年を表すことを紀年法といいます。
 紀元には,その起源に種々あります。例えば,天文学者や年代学者による純天文学的
なものや,宗教に関連した宗教的紀元,国家の建国ケンコクを記念した建国紀元,また国家
・民族に起こった記念すべき重大事件を起算点とする紀元などがあります。
 
 キリスト紀元は,今日世界の殆どの国が採用しているもので,キリストの降誕コウタンの
年を元年として数えます。ところがキリスト降誕の年は,実はキリスト紀元より4年前
といわれています。わが国ではこのキリスト紀元のことを西暦紀元,略して西暦又は西
紀といっています。
 キリスト紀元は初めは教会において,宗教上の祭典を執行する必要上用いられたもの
で,西紀525年にディオニジウスが採用し,3月25日を起算点としたものでした。即ち年
首をここに採りましたが,その後12月25日クリスマスを年首とし,現在では1月1日を
年首としています。
 
 わが国の年首は,前述の明治5年11月9日太陽暦に改められたときに,神武天皇即位
の年を以て紀元元年とし,正月朔を以て祭日として神武天皇即位日と呼ぶこととされま
した。太陽暦が採用された同6年の旧暦正月は,太陽暦の1月29日に当たりますので,
この日宮中において祭典が行われました。同年3月7日の布告によって紀元節と称され,
太陰暦の正月1日を太陽暦に換算して2月11日を紀元節と定められました。神武紀元(
皇紀ともいいます。)は,西紀紀元に先立つこと660年です。
 
 東洋においては,干支カンシ紀年法という特殊な年数を数える方法があります。六十干支
を紀元年数又は元号にも,例えば平成8年丙子ヒノエネとか,1996年丙子と記します。六十
干支を年に付けて年を表すこの方法を干支紀年法といい,60年を周期として繰り返しま
す。六十干支を日にも連続して配しますが,これを干支紀日法といいます。
 
〈元号ゲンゴウ(年号)〉
 紀元年数で年を数えるのに対して,東洋においては元号,或いは年号が採用されてい
ます。年号とは年に付ける称号で,天皇の即位・祥瑞ショウズイ・災異サイイ・その他の理由に
より,ときどき年を数える起算点を変えるものです。年号の起源は中国に始まり,初め
は王の即位の年を元年とし,王の何年として年を数えましたが,後には称号を付けて年
を数えるようになりました。王一代の間に,数回も改元カイゲンが行われるのが普通でし
た。
 わが国における元号の制は,中国に倣って孝徳コウトク天皇元年(645)6月19日,大化
タイカと称したのが最初です。5年を経て周防スオウの国から白雉子キジを献じたので,瑞祥
ズイショウとして白雉ハクチと改元されました。一時このことは途絶しましたが,その後瑞祥や
珍しい事件がある毎に改元が行われ,年号もそれに因んで付けられるのが常でした。こ
のような瑞祥は国家の吉祥キツショウとして考えられ,天子の善政が天に応じて顕現ケンゲンし
たものであるという考えに基づくものです。
 明治維新になって,明治元年9月8日に一世一元の制が定められました。この制度を
継承して昭和54年6月6日に元号法が成立し,元号は政令で定めることとし,皇位の継
承ケイショウがあった場合に限り改めることとされました。
 元号の使用は強制されるものではないとされていますが,官庁などへの届書など公式
文書には,統一された元号を使うのが普通のこととされています。
 
                    「謹賀新年」など記する,奥ゆかしい伝統
                   を持つわが国における年賀状には矢張り,西
                   紀よりも「平成八年元旦」と記述しますと,
                   受け取られた人は其処に麗しい文化を実感し,
                   日本に居住しそして日本人たることの喜びを
                   味わってただけます。      SYSOP

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