03 暦 − 暦書その一
 
              暦 − 暦書その一
 
                     参考:雄山閣発行渡邊敏夫著「暦入門」
 
〈暦書レキショとは〉
 暦書とは,暦法によって編纂ヘンサンされた一年の月日に対して,種々割り当てられる各
事項について記述するものです。暦には暦法と暦書の二つの意義がありますが,通常「
暦コヨミ」といえば,この暦書を指します。
 暦書とは一定の暦法によって組み立てられた一年の月日に対して,
 @起こるべしと予測されたことのことで,天体暦のように天体の位置,日食・月食な
  どの天文現象などを記した天体暦のようなものと,
 A実施すべく予定された事項のうち,公然で恒例コウレイなるものを,日に割り当てて記
  載したもので,年中行事とか歳時サイジを記した日常生活に使われる常用暦ジョウヨウレキ
  のようなもの,
をいいます。
 天体暦には,純学術的目的のための諸天体の位置や,天文諸現象などが記載され,ま
た航海者のために天体暦を航海に便利にと,各地の経緯度ケイイド,潮候チョウコウ潮位チョウイな
どを詳細に記した航海暦コウカイレキなどもあります。
 また神社や寺院にはそれぞれの祭祀サイシ暦があり,農事には節気セッキ・播種ハシュ・収穫の
適期を記した農事暦,学校の年間の行事や授業に必要な計画などを記した学事暦,余暇
を楽しもうとするサラリーマンには簡単な休日だけのカレンダーなど,いろいろありま
す。
 暦というものは,われわれが社会人として生活する以上,これを無視することはでき
ないものです。個人としての任意な諸計画は勿論必要ですが,国民として,また団体の
一員として生活する以上,国家又は団体の定めた暦に従わなければなりません。そこで
一私人のみに通用するようなものは暦とはいえず,暦は何処までも公然であり,恒例な
ることが必須であります。
 
〈日本暦書の変革〉
 旧暦時代,常用暦として漢字で書かれた具注暦グチュウレキと,平安時代末期頃から具注暦
を手写して仮名書きにした仮名暦カナゴヨミ,後に版にして各地で特有の暦注を施して刊行
された地方暦,日・月・五星の天体の位置を記載した「七曜暦」と呼ばれた暦書などが
ありました。
 仮名書きの地方暦には,薩摩暦・京焼キョウ暦・南都ナント(奈良)暦・泉州センシュウ暦・伊勢
暦・丹生ニフ暦・三島暦・江戸暦・会津アイヅ暦・仙台暦・秋田暦などがありましたが,貞
享ジョウキョウ2年の改暦により統合され,薩摩暦を除いて何れも形式や記載内容は全く同一
となりました。なお,一枚刷りの略暦は禁止されていましたが,ヤミで出版されていま
した。
 明治2年より奇陰陽頭オンミョウノカミの土御門ツチミカド家が明治政府から造暦・頒ハン暦の権利
を得て,前掲の地方暦の暦師を弘暦者コウレキシャとして許可して頒布ハンプしていました。同
5年からは弘暦者が申し合わせて頒暦商社を設立して頒暦しました。その後同15年から
は,伊勢神宮司庁シチョウにおいて頒行することが許可されました。
 一方,天文暦の編暦については,同3年からは国(大学・東京天文台など)において
行われていましたが,同23年からは伊勢神宮司庁に移されました。
 大正10年からは,伊勢神宮暦は名実ともに国暦としての標準暦となりましたが,昭和
20年12月15日米軍総司令部の覚書により,神社への国家援助が禁止されて,東京天文台
は伊勢神宮暦の編纂を中止することになり,今日に至っています。
 現在では標準となる国暦はなく,無秩序な俗暦が出版されています。
 
〈干カン支シ〉
 中国・朝鮮・日本の暦書には週日のほかに,10日を周期とする十干があります。中国
では十日単位を旬ジュンといい,旬は順次,甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の
文字を当て,この十干に五行(木・火・土・金・水,後述)を配当しました。わが国で
は順に,きのえ・きのと・ひのえ・ひのと・つちのえ・つちのと・かのえ・かのと・み
ずのえ・みずのと,と読みます。「え」は兄の義で陽を意味し,「と」は弟の義で陰を
意味するものです。そこで十干のことを「えと」といいますが,この十干と後述の十二
支とを結び付けてできる六十干支カンシをわが国では「えと」と呼んでいます。
 
〈十二支〉
 十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12を周期とするもので
す。これを順に,ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・
い,と読んで12の動物の名が当てられています。12の動物を当てたのは,中国の戦国時
代のときで,その目的は中国文化と正朔セイサクを周辺の未開民族に伝えるに当たり,記憶
と流行に便利なように,それぞれの月に多少縁故ある動物を借りて配当したのではない
かとの説もあります。
 十二支は殷インの時代に作られ,元来1年12カ月を数えるために設けられた符合で,子
は正月,丑は二月以下順に,亥は十二月であった訳です。
 中国では三正論といって,周シュウでは冬至トウジを含む月を正月,殷ではそれより1カ月
遅れた月を正月,夏カでは更に1カ月遅れた立春に近い頃を以て正月としました。これに
子丑寅を当てますと,夏の正月は寅月,殷の正月は丑月,周の正月は子月となります。
この夏殷周カインシュウの三様の正月を三正サンセイといいます。漢の時代以後夏正カショウ寅月を正
月として今日に至っています。わが国も旧暦は寅月を以て正月としていました。暦に正
月建寅とあるのはこれを指すものです。
 一方中国でもわが国でも,北を子ネとし東廻りに十二支を配し東を卯,南を午,西を酉
として十二方位に割り当てています。暦に記載される建寅・建丑・建子の月というのは,
その月の初昏に北斗七星の斗柄トヘイが,それぞれ寅・丑・子の方位を指す月と解されてい
ます。
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