02a 暦 − 暦法とは
 
〈太陽暦〉
 現在の世界の大部分の国は,太陽暦を用いています。この太陽暦法は,太陽の運行に
よって日を数え,季節の変化を調節する暦法です。
 昔,ローマでは1年を355日とし,それが12箇月からなるローマ暦を採用していまし
た。これは太陰暦的な暦法ですので,1太陽年とは10日程短くなるため季節の狂いを生
ずることになります。
 通常ですと,その差に閏月ジュンゲツを挿入するなどして暦と季節を合致させる訳です
が,動乱などのため暦を補正しませんでした。そしてローマの大神官となったユリウス
・ケーザルの時代になりますと,暦は季節よりも2箇月以上も進んでいました。そこで
この差を改めるとともに,太陰暦を捨て,1年365.25日とする太陽暦法を採用,平年365
日,4年に一度1日の閏日ジュンジツを置いて366日とすることとしました。この暦法をユ
リウス暦といいます。
 ユリウス暦は,1年の平均の長さを365.25日としていたため,実際の太陽年はこれよ
り11分14秒短いことになります。これに従って閏日を置いていきます(「置閏法チジュンホウ
」といいます。)と,100年で18時間余り,1000年で8日近くの相違をきたし,真の春分
は,暦の上の春分よりはそれだけ早くなります。
 16世紀の終わりになりますと,その差は10日にも達しました。
 そこでローマ法王グレゴリー十三世は,春分が3月21日になるように,西暦1582年,
暦(当時用いていたユリウス暦)の上から10日を省いて,10月4日の次の日を同月15日
としました。そして将来もこのようなことが起こらないように,ユリウス暦の置閏法を
改めて,「西暦紀元年数が4で割り切れる年を閏年ジュンネンとする。ただし100で割った商
が4で割り切れない年は平年とする。閏日は2月28日の翌日に挿入する。」こととしま
した。換言しますと,西暦紀元年数が400で割り切れない年は平年とすることとなり,
400年間に97回の閏年を置くことになります。この太陽暦法をグレゴリー暦と呼んでいま
す。
 この置閏法によりますと,グレゴリー暦法の1年の平均日数は,
 (365日×303+366×97)÷400 = 365.2425日
となります。これですと1太陽年との差は0.0003012日,100年について0.03日,1万年
で3日となりますが,実際問題としては何等日常生活の妨げとはなっていません。
 このときの改暦の重要な目的は,キリスト教会での春分と関連して決定される復活祭
フッカツサイの日付に関して,固定した規約を設けることにありました。
 
〈太陰暦〉
 太陰暦は,太陰の満ち欠けだけで日を数える暦法です。太陰暦は季節には全く関係が
なく作られるため,農耕には適さない暦法です。この暦法を採用しているのはマホメッ
ト教(回教)徒だけです。
 マホメット暦法では,各月は29日と30日の月を交互に繰り返して12月,1暦年は354日
となりますので,1太陽年に比べて11日短いことになります。そこで33太陽年で各季節
は一巡することになり,30暦年毎に閏年を設けています。
 一般に太陰暦では,一日は日没に始まり,月の初めは新月を初めて認めた夕方に始ま
ります。
 
〈太陰太陽暦法〉
 太陰の満ち欠けによって日を数える純太陰暦法に,季節を調節するため,太陽の運行
による1太陽年を採り入れた暦法です。この種の暦法に属する主な暦法としては,バビ
ロニア暦,ギリシャ暦,インド暦,中国暦などがあります。わが国の明治5年以前の暦
法は,この中国暦を模倣したものです。
 
 中国暦の中での二十四節気セッキは,季節を調節する上で重要な役割を果たしています。
二十四節気は黄道コウドウ上の太陽の位置,天文学でいう黄道上の経度である黄経コウケイに関
係して決まりますので,太陰の満ち欠けとは全く関係がありません。二十四節気は太陽
の運行による季節の目安となるものですので,太陽が毎年,黄道上のこれらの各点を通
過する日は,太陽暦では毎年同一期日に当たります。
 
         二十四節気
 
  四季 節気名 月   太陽黄経 太陽暦の日付  
 
  春  立春  正月節  315度  2月4日頃
     雨水  正月中  330度  2月19日頃
     啓蟄  2月節  345度  3月6日頃
     春分  2月中   0度  3月21日頃
     清明  3月節  15度  4月5日頃
     穀雨  3月中  30度  4月20日頃
 
  夏  立夏  4月節  45度  5月6日頃
     小満  4月中  60度  5月21日頃
     芒種  5月節  75度  6月6日頃
     夏至  5月中  90度  6月21日頃
     小暑  6月節  105度  7月7日頃
     大暑  6月中  120度  7月23日頃
 
  秋  立秋  7月節  135度  8月8日頃
     処暑  7月中  150度  8月23日頃
     白露  8月節  165度  9月8日頃
     秋分  8月中  180度  9月23日頃
     寒露  9月節  195度  10月8日頃
     霜降  9月中  210度  10月23日頃
 
  冬  立冬  10月節  225度  11月7日頃
     小雪  10月中  240度  11月22日頃
     大雪  11月節  255度  12月7日頃
     冬至  11月中  270度  12月22日頃
     小寒  12月節  285度  1月5日頃
     大寒  12月中  300度  1月20日頃
 
〈日本暦〉
 わが国で正史上明らかに暦法が採用されたのは,持統ジトウ天皇4年(690)11月のこと
です。それ以前に既に,顕宗ケンソウ天皇元年(485),また欽明キンメイ天皇14年(553)の頃
に,中国から朝鮮を通じて暦書が渡来したといわれています。
 
  暦名     造暦者   始行年   世紀 行用年数
 
  元嘉ゲンカ   何承天   持統6    692   5
  儀鳳ギホウ   李淳風   文武元    697  67
  大衍ダイエン   僧一行   天平宝字8  764  94
  五紀ゴキ    郭献子   天安2    858   4
  宣明センミョウ   徐昴    貞観4    862  823
  貞享ジョウキョウ  保井春海  貞享2    1685  70
  宝暦ホウレキ   安倍泰邦  宝暦5   1755  43
  寛政カンセイ   高橋至時他 寛政10   1798  46
  天保テンポ   渋川景佑他 天保15   1844  29
 
 明治5年(1872)11月9日,改暦の詔書ショウショが発布され,天保暦(太陰太陽暦)によ
る明治5年12月3日を,太陽暦による明治6年1月1日と定められました。そして明治
31年5月11日勅令第90号によって,グレゴリー暦に基づくこととし,今日に至っていま
す。
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