81a 聖雄信仰の例照せる神道の本質
 
序文
 
 終戦後世相一変して、それ迄大いに誇りとし日本の宝として大切にしてきたものを惜
しげもなく捨て去って顧みない風潮が瀰漫して参り、我が乃木神社も其の例に洩れず、
神様の中の追放組に押しやられるに至り、社頭は正に門前雀羅の観を呈し、賽者の姿殆
ど無いと云う情け無い状態となったので、私は日本人の余りの豹変ぶりに驚き且つ慨歎
し、そもそも乃木聖雄が神と祀られるに至ったのは軍服姿の乃木大将の戦功位勲に依る
ものではなく、崇高な其の人格否神格を祀ったものに外ならないと深く信じ、終戦の十
日程前に戦火の為灰燼に帰した乃木神社に赴任し其の復興を使命づけられていたのであ
るが、建物の復興よりも、乃木聖雄の神徳の宣揚こそ急務と考え、乃木神社に所蔵する
乃木聖雄の伝記類を片端から読始めたのである。その中に加藤玄智博士の「神人乃木将
軍」なる一冊があった。その中に「西洋人が耶蘇の十字架上に流した血を見て神の信仰
に導かれた如く、自分は乃木聖雄が自刃して流された其の碧血に依って神の信仰に導か
れた」と云う意味のことを述べられ、非常な熱情を以て一気に全篇を書綴っておられる
のを読み、私は大きな感動を覚えた。
 
 加藤博士と一面識ない私は早速博士を御殿場の学労窟を尋ねて、乃木聖雄の神徳宣揚
のことを議った。其れは昭和廿四年の春のことである。勿論博士は双手を挙げて賛同せ
られ自分の出来ることで労を惜しむものではないと協力を申出られた。爾来御殿場の学
労窟に資料を運び、同廿七年一月に至って大体稿がまとまり、先づ小冊子「吾が行く神
の道」を日本人向に出版し、続いて英文に依る乃木神典を出版し、外人に向って乃木神
社信仰の正しい在り方を闡明することになった。この英文乃木信典は好評を博し、単に
乃木神社信仰の昂揚のみならず、文明教期に在る日本の神社神道の正しい姿を闡明して
おると云うので、先年岡崎外務大臣の招きで来朝せられたロンドンの日本協会(Japan 
Sosiety)の筆頭書記ピゴット少将(F.S.G.Piggott)は同協会の機関誌ブルチン(
Bulletin)に二号に亘って詳細な紹介と批評とを載せた程である。従ってこの本は英米
の日本研究家の間に高く評価されるに至り、東京の外書を扱う書店を通じ、又直接乃木
神社より外人の手に渡り既に去る廿九年には再版するに至ったのである。此の間に根本
信典の刊行の準備を進め昭和卅一年には『知性と宗教 − 聖雄信仰の成立』が出版され
茲に和英三部の信典を出すに至ったのである。
 
 時世も徐々に是正せられ、日本の美しい伝統に目覚め、再認識する時運がめぐり来っ
た故もあるが、以上の著作が乃木神社信仰の念を高めるに役立つことは確かである。
 最近右の英文乃木信典を和訳して、日本人にも之を読んでもらったなら又上記二和文
信典とは異なった面から乃木聖雄信仰を鼓吹するに違いないと著者の加藤博士より提言
があり、予て加藤博士と親交があり又篤い乃木聖雄崇敬家である鳥取県板尾正巳氏が之
に賛同せられ、之が出版費一切を拠出せられることとなり、旧臘より話は急速に進展し、
錦正社主中藤正三氏及明徳印刷出版社が出版を快諾せられ翻訳は宮沢末男氏が公務多忙
の中を引受けられ旧臘既に脱稿と云う快足を以て事は運ばれ又之を伝え聞いた神吉イト
女史、渡辺長作氏筋野孝二郎氏等は多数購入の予約を申出られ極めて順調に出版せられ
るに至ったことは、乃木聖雄の大至誠を讃仰し、之に神習って処世せられる之等の人々
の「誠」の結集に外ならず、茲に奇蹟的好結果を齎したものと痛感し、之等の人々の協
力を深く感謝すると同時に其の至誠の人柄に敬意を表するものである。
 終りに此の書物の表紙の絵は、英文信典の為に森田沙伊画伯が献納せられたものであ
るが、此の和訳本の表紙に転用させて頂くこととしたものである。ここに改めて同画伯
の厚意に謝意を表する次第である。
   昭和三十九年一月二十日
                        東京赤坂乃木神社にて
                                高 山  貴
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