81 聖雄信仰の例照せる神道の本質
参考:乃木神社社務所発行「聖雄信仰の例照せる神道の本質」
本稿は、乃木神社社務所発行「聖雄信仰の
例照せる神道の本質」を参考(転記)にさせ
ていただきました。
乃木神社御祭神乃木希典大人に関すること
について、出来るだけ多くの方々に分かって
いただこうと思って、本稿をこのホームペー
ジに登載させていただきました。
本稿をこのホームページ上でご紹介するこ
とに関しまして、関係各位の快いご了承をお
願いする次第です。
なお、原著(英文)につきましてもこのホ
ームページでご紹介したいと思いますので、
恐れ入りますがお心当たりの方のご一報をお
待ち致しております。 SYSOP
「聖雄信仰の例照せる神道の本質」
文学博士 加藤玄智原著(英文)・宮沢末男(成文簡複自由訳)
原序
乃木神社に参詣される英語を話す方々、特に日本語に不慣れな外人方のために、この
小冊子を出しました。
本書は初めに乃木神社の神道信仰論を説き、次に一般の宗教、特に日本人の宗教であ
る神道を説き、終りに神道信仰論即ち乃木神社の神道信仰を一層明瞭に説きました。
特に乃木神社の意義と、どういう方が此所に祀られ崇められているかを読者の方々に
解っていただこうと努めました。また何故日本人はこの方を神人として、神として崇め
るようになったも明らかにしようとしました。この方は最早、軍服を着た軍人でもなけ
れば血と肉をもった人でもなく、超人的存在であり、基督教的に云えば絶対者の権化即
ちロゴスであります。これを説明するために、第二章と第三章をあてました。
著者の比較宗教学の立場から見ての、神道宗教と神人乃木信仰の本質を、外人の方々
に分かっていただけるようにと有ゆる努力をしました。若し読者の皆様が日本宗教の神
髄である神道を理解なさるために、この小冊子をご利用下さらば、著者は心から謝意を
表する次第です。
特に畏友古田寛悟氏・川島福太郎氏及び下中弥三郎氏に深謝致します。諸氏の心からな
る御援助がなくては本書は出版されなかったでありましょう。更に附記しなければなら
ないことは著名な森田沙伊画伯が本書のために美しい原画をお描き下さったことです。
申すまでもないことですが、氏がその見事な画をお寄せ下さったことに対して、私は心
から感謝して居ります。
昭和二十九年四月二十一日
静岡県御殿場にて
加 藤 原 智
英文原著者小序
今回終戦後間もなく私が口述した通称乃木神社信典などと呼ばれた英文小篇が邦訳さ
れて本書となった。私は乃木神社の信仰に生き、乃木聖雄に対して崇敬崇信の宗教的自
覚を有して居るものだが、然し他方では学問の公明正大を期し、僻見偏見に左右されて
はならないという宗教学者の立場を堅持して居る者である。是私が平素私の宗教信仰に
私解を施して、宗教人たる者は自己の信仰に専念すると同時に、他人の信仰とも相和し
握手して、寛容的な態度をとるべきものと主張する所以である。私は常に「和して自信
に忠なれば精醇を味合う」と高唱するのも此処である。ABC等の各種ビタミンを尊重
すると同時に、夫等諸ビタミンの多くを包容して居るところの綜合ビタミンの寛容性を
も利用すべきものだと論説する。西洋の能く知られた格言に「ペンは剣よりも協力なり
」と云うのがあるが、顧れば旅順の役多くの人命を損して是を攻落した乃木司令官があ
るのに対して、私は乃木神社のために前記の通り小論文を以て米軍マッカーサー元帥の
総司令部に沈黙を守らせた実例は上記の英文小篇である。マ氏は占領後、乃木神社を白
眼視し、是が明治の軍人を御祭神とした神社であるところから、種々の難癖を付けて神
社に干渉をして来た。是には高山宮司も手を焼き、神社側のよい通訳もないので弱られ
た。其結果善後策に付いて私に相談があった。其時私は答えた。夫なら私が乃木神社の
本性真相を簡明に英文で書いてあげるから夫を米軍に突付けて、此の神社は乃木希典と
いう軍人を御祭神としたからといって、軍刀や軍帽を祭るのではない、乃木希典という
至誠其ものの人間的象徴シンボルと申して差支ないところの偉聖即ち乃木聖雄否乃木神
雄の本体実体の神をお祭りするのが此神社の特色である。故に乃木神社は至誠教ともい
うべき宗教の神聖な道場であると私は断言する、と斯う説明しておいた。時に昭和二十
五年頃の事と記憶する。そこでマ氏の矢鱈な干渉もやんで事は静謐に帰した。其時私は
フト心に浮んできた事がある。如何して私如き窮措大の迂愚な書生が書いた文章がそん
なに大役を勤め得たのだろうか。是は私の一の疑問であった。然し能く反省し内観して
みると、其理由が能く分って来た。即ち私は乃木神社の崇敬家信者である。聖雄を通し
て聖雄の本体実体たる至誠の神其ものを私の心の中の神社にお祭り申して居るのだ。其
至誠の本体原体から出て来る偉大なる神力が私をして斯の如くさせたのである。マ氏も
其前には屈服したのである。斯く考えてくると乃木神社は単に日本国家と特別関係を持
って居るところの所謂国民的宗教又は国制教であるばかりでなく、翻って上記の通り私
個人と乃木神社崇拝の大本神との個人関係が存在し来たって、本社と私との間に宗教学
が教える個人教即ち語を替れば普遍教即ち世界的宗教が自然必然に発露し来たって居る。
夫は即ち大衆教又は衆信教と称せられる一般普通の宗教と同列に置かれ、至誠教として
は仏基二教等と同様に倫理的智的の宗教を発揮し、文明教のトップを切って居るものと
云う事が出来よう。従ってかかる衆信教は哲学者の理智の産物とも見るべき所謂今日一
部に流行のヒューマニズムを以て宗教と見たり、或は又宗教の本性真相が奈辺に存在し
て居るかを無雑作に看過し、豚や牛の上肉を求めずして其ケチな牛肉豚肉の細切れを以
て舌鼓を打って居るような宗教の細切れ要素を取出して、今日知識階級の共通に信じ得
べきコンモン・フェースと命名して居る如き、学者の独信教なるものとは共に比ぶべきも
ない性質を有し来たったのは、乃木聖雄神教の文明教期に於ける現今の精華特色である
ことを本書に於て能く味読して頂きたい。
此邦訳書が出版されるに付いては宮沢末男君の自由な名文翻訳並に高山乃木神社宮司、
思斉社主板尾正已君、錦正社、明徳印刷出版社等の乃木聖雄崇敬の誠意の結晶であるこ
とを私は感謝して此衝口発言の末尾とする。
昭和三十八年十一月一日
不二山麓東山 学労窟研究所にて
文学博士 伍盲 加 藤 玄 智
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