02 乃木神社
                乃木神社
 
         参考:乃木神社発行「乃木神社由緒記」(平成4年9月1日発行)
 
〈由緒〉
大正元年九月十三日、明治天皇の御登遐に殉じて、乃木将軍御夫妻が自刃されてから、
その誠烈に感激して乃木邸へ来観するもの日を追ってその数を増していった。そこで東
京市長阪谷芳郎男爵等が広く同窓の士に諮り、中央乃木会を組織し、乃木邸内小社に、
御夫妻の英霊を奉安し、毎年九月十三日には祭儀を挙行し、或いは青少年への研修を開
催し、乃木精神の宣揚に意を効した。大正五年立太子礼に当たり、将軍在世中の忠節を
思召され、正二位を追贈された。大正八年神社創立を許可せられ、明治神宮の御鎮座を
期して御造営の事業が起こされ、大正十二年十一月一日鎮座祭を斎行した。
昭和二十年五月二十五日、空襲により本殿以下社殿が焼失したが、全国崇敬者の熱誠に
より、昭和三十七年九月復興した。
 
〈御神徳〉
乃木将軍の御高徳を一語にして表すならば、忠誠に尽きる。明治という光輝ある時代の
忠誠の象徴として御祭神は祀られている。
乃木将軍の、自らに対し、父母に対し、そして国に対し、誠を貫かれた御事蹟は、日本
とは、日本人とは、我々一人々々の精神ココロの中にあるのだという御神訓ミオシエとして生き
つづけている。乃木将軍が神として祀られた由縁がここにある。
乃木将軍は文武両道の神である。
武に於いては、西南の役、日清・日露戦争での武勲や、数々の御事蹟が示す如く、一太
刀振りおろせば全てを打払う、王者の剣であり、文に於ては、学習院々長に任ぜられ昭
和天皇の御養育にあたられるなど、教育者としての御事蹟や、数多くの遺詠・遺墨に接
して明らかな如く、教行両全の真の学問の神でもある。
明治天皇に殉じられる迄の三十有余年の間、常に将軍の意を体し、忠孝・質素・仁愛の
志厚く、内助の功を尽くされ、妻として良夫に殉じられた、静子夫人の淑徳清操の御生
涯もまた世の尊崇を集め、共に神として祀られている。
 
〈祭神〉 乃木希典命
 
〈配祀〉 乃木静子命
 
〈辞世〉 辞世の和歌
 
                                   臣希典上
 うつ志世を神さりましゝ大君の みあと志たひて我はゆくなり
 
                                 希典妻静子上
 出てましてかへります日のなしときく けふの御幸に逢ふそかなしき
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