74 院内七高神社(仁賀保町)
 
                  参考:秋田県教育委員会発行「秋田の獅子頭」
                             (平成9年3月発行)
 
〈由緒〉
 七高神社は中世末期までは仁賀保五十三ケ村の総鎮守とされ、近世には仁賀保氏の崇
敬も篤く、祭事奉祀に当たり十八坊が置かれていたと伝えている。七高山極楽寺が代々
別当を務めていたが、近代には極楽寺の名跡は途絶え、十八坊もまた殆ど伝えるものが
ない。僅かに又蔵坊(現神職樋高氏)が祀職を継ぎ、近代に書写した文書資料が遺され
ているのみである。
 正月七日中に行われる年占神事の中心は御門松神事・大御饌の神事・御散飯の神事であ
る。神事は神職と氏子の行者四〜五人と、堂小番(大黒とも)と云う賄い者一人が、暮
れから正月七日まで神社にお篭もりして行うものである。
 この年占神事の一つに七日堂神事、即ち獅子の御頭巡行がある。
 
〈獅子巡行〉
 年占神事の満願日に当たる七日の日に、七日堂御頭神事として獅子頭、即ち権現様が
村内を巡行する。まず当日の朝、鏡餅と七草とで作った雑煮を戴いた後、神前、つまり
獅子の御頭の前で、祝詞奏上、拝礼などの祭式が行われる。
 行者が権現様に二拝二拍手一拝の作法で拝むと、それに合わせて獅子連中が捧持する
権現様も二回噛み合わせをする。終わって権現様は、向拝で待ち受けている氏子達に捧
げ持たされる。
 権現様の本体を捧持する者を守り申す役と云い、必ず左右二人で抱える。苧カラムシの長
い頭の髪はこの守り申す役の首に掛けられ、これを髪被りと云う。その後ろには控えの
役(後付き)、幕の周囲にも人が付いて後ろの幕を持つ。やがて神社を出るとき、神職
と行者によって鐘や鈴が打ち鳴らされ、権現様の出御を見送る。
 
 権現様一行、つまり獅子連中は祓麻で先祓いする役一人、獅子頭を守り申す役二人、
後付き役二人、御札を入れてある勧請箱を持つ役一人、御初穂箱を背負う役一人である。
御初穂箱を背負う人を大黒とも云い、これは大黒様が袋を担いでいたことに準えたもの
と云う。権現様の巡行には、男女の子供達も付き添う。
 権現様一行はまず元修験又蔵坊である樋高宮司家に入り、予め待機していた行者二人
は権現様に拝礼して、権現様を神前に安置する。その前に米・神酒・鯣・昆布・塩・水などの
神饌を奉り、権現様には神符・守符をくわえさせる。神前の仕度が調うと、神職による修
祓、祝詞奏上、行者拝礼、神酒拝戴などの祭式が行われる。
 この間に、納屋では御頭様の棒が作られる。この棒は竹の棒でボンボリとも云い、前
棒六尺、後ろ棒七尺、先には新藁を丸めて結わえ付ける。
 この御頭様の棒は子供達が持ち、後ろ幕の中に入って下から差し立て、幕を上に押し
やって支えて獅子の背を突くようにしたり、また人がその中に入りやすくする。子供達
はこの後ろ幕に入り込むと、いよいよ巡行が始まる。
 
 幕の中の子供達は「オオーイ、オオーイ」と大きな掛け声を出しながら、巡行は進む。
氏子の各家々では道に出て権現様一行を出迎え、お初穂として米や賽銭をお供えする。
 権現様一行は巡行進路のうちの主要地点六カ所に止まり、祭式を執り行う。
 各家で必要があれば「入れ申す」と祈祷の申し込みをし、権現様を座敷の神前に安置
し、神饌を供えて祭式祈祷を執り行う。獅子連中はここで酒肴を頂戴し、子供達には菓
子が振る舞われる。権現様にくわえさせた神符・守符はその家に授与される。「入れ申す
」家はその年の例祭当番宿など四、五軒である。
 
 山形県遊佐町に鳥海山大物忌神社があり、そこには「吹浦の獅子」と呼んでいる獅子
頭巡幸神事があった。この巡幸が秋田の仁賀保や由利郡一帯まで信仰圏を持っていた。
従って、各地の神社の巡行区域は重複することとなり、屡々各地で獅子同士が出合って
喧嘩をしたと云う。
 あるとき、院内七高神社の獅子と吹浦の獅子とが出合って、喧嘩をした。その結果、
吹上の獅子の耳が噛み落とされ、院内の獅子の歯が欠け落ちてしまった。そこでこれら
の権現様の耳と歯が勿体無いとして、供養をして埋めて祀ったと云う。そのようにこと
から、吹浦の獅子がこの地区を通るときには、獅子頭に幕を被せて覆い隠して通り過ぎ
るのであったと云う。
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