い1 厳島神社
 
〈いつくしまじんじゃ〉
 厳島神社 広島県佐伯郡宮島町に鎮座
 旧官幣中社。安芸国の一宮で俗に「安芸の宮島」の名で親しまれ、古くは伊都伎島
イツキシマ神社(延喜式)又は厳島大明神とも称した。祭神は市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命
を主神とし、相殿に天照大神・国常立神外三十四柱を合祀す。成立年代不詳であるが社伝
によれば、推古天皇元年一月十二日、市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命の三神がこの地に
御出現し、当郡の住人佐伯鞍職に宝殿廻廊を建立して厳島大明神を崇敬せよとの託宣を
授けたにはじまると。
 
 清和天皇の貞観元年正月神位従四位下に叙せられ、同九年従四位上、延喜の制名神大
社に列す。朱雀天皇の天慶三年二月には正四位下に陞叙す。後、平清盛当国の守護職に
任ぜられるや、本社を崇敬し、新たに殿社を造営、百八間の廻廊、鳥居を建てたと。承
安四年三月、後白河上皇建春門院と共に御幸啓。治承三年三月、二十二社の列に加う。
同四年高倉上皇、三月と九月の両度にわたり御幸。
 ついで源頼朝また崇敬深く、社領・神物等を寄進、修造等の料を奉る。
 
 順徳天皇の承久二年源実朝は佐伯郡一万六千貫を寄す。後堀河天皇の貞応元年将軍藤
原頼経、安芸千與未地頭職をして厳島社領を寄進す。後、貞応年中に火災に罹ったが、
嘉禎元年造営成る。文永七年正月社殿焼失す。康応元年足利義満社参。後、大内義隆本
社を造営し、社領を安堵す。後奈良天皇は義隆の奉請により大鳥居の額に染筆あらせら
る。元亀三年将軍足利義昭、毛利元就をして社殿を古例のままに造営せしむ。神祇官吉
田兼右が下向して遷座祭を執行す。
 
 天正十五年豊臣秀吉の令により大経堂(今の千畳閣)を創建。江戸時代に入っても徳
川将軍をはじめ藩主浅野氏の崇敬が篤かった。明治四年国幣中社に列し、同四十四年一
月官幣中社に昇格。例祭は六月十七日。
 古来より上下の崇敬篤く、多くの神器・神宝の寄進を受け、貴重な宝物が極めて多い。
 
関連リンク [世界文化遺産「厳島神社」]
関連リンク [鹿角物語「1802厳島神社の夢枕」]

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