03 神仏分離
 
                         参考:鹿角市発行『鹿角市史』
 
 慶応四年(1868)三月十七日、明治新政府は全国の神社の別当ベットウ・社僧シャソウに対し、
復飾フクショク(還俗ゲンゾク)して、僧侶としての官位を朝廷に返上するよう命じた。また、
同月二十八日には、神仏を混淆し、菩薩ボサツ・権現ゴンゲン等の仏語を以て神号とし、仏像
を神体となすと云った事を悉く禁ずる布告を出した。これがいわゆる神仏分離令(神仏
判然令シンブツハンゼンレイ)と云われるものである。その内容は次の通りである。
 
 此度御一新に就き、石清水、宇佐、箱崎等八幡大菩薩称号止められ、八幡大神と称トナエ
 奉り候仰出され候事。
 中古以来の某権現、或は牛頭ゴズ天皇抔ナドを称し、其外仏号を相称え候神社少なから
 ず候。何イズレも其社の由緒にもとつき称号相改め申す可き事。
 但勅祭チョクサイの神社は伺出の上相改め申す可く、其余の社は裁判、鎮台チンダイ、領主、
 支配へ申出ず可し。相改め候上は当局へ届出申す可く候事。
 仏像を以て神体と致し候神社は、以来相改め申す可く候事。
 付而ツイテは本地ホンチ抔と唱、仏像を神前に懸置き或は鰐口ワニグチ、梵鐘ボンショウ、仏具等の
 類を差置き候分は早々取除き申す可き事。
 
 即ち、
@八幡大菩薩の称号を止め、八幡大神とする。
A中古以来の某権現・牛頭天王を称したり、そのほか仏号を唱える神社が少なくないの
 で、その社の由緒に基づき称号をきめること。
 但し、@Aの神社の中で勅祭の神社(天皇から勅使が遣わされる神社)は、伺い出の
 上で改める。その他の社は、裁判・鎮台・領主・支配へ申し出、改称したならば当局へ届
 け出ること。
B仏像を神体としている神社は神体を改めること。更に本地などと唱えて、仏像を神前
 に懸け置いたり、鰐口・梵鐘・仏具などを置いているところは早々に取り除くこと。
などを命じている。
 
 例えば、その結果次のように改められた。
 八幡大菩薩      → 八幡宮・八幡社
 ○○権現       → ○○神社
 牛頭天王       → 八坂ヤサカ神社(小豆沢)
 金毘羅社コンピラシャ    → 琴平コトヒラ神社(大里)
 弁才天ベンザイテン堂   → 厳島イツクシマ神社(大里)
 勝善ショウゼン堂     → 駒形大明神・駒形神社(長嶺ほか)
 観音堂        → 飛鳥アスカ大明神社(大里)
 不動明王フドウミョウオウ社 → 瀧澤タキサワ神社(大里)
 毘沙門ビシャモン堂    → 長嶺大明神社(後に毘沙門神社)
 古四王大権現     → 古宮大明神社(後に古四王神社)(三ケ田)
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