獅子大権現御伝記
参考:尾去沢下タ沢会相馬茂夫記「下タ沢会によせて」
此扨風儀今三沢に残れり、然れ共何の訳にて祭るといふ事も知らず只何となく、
闇の夜に啼かぬ烏の声きけば
生れぬ先の父ぞ恋しき
といふ古歌の如く、自然と生まれぬ先の父を恋慕ふて祭るは、天の然らしむるもの也。
往古は御社内も広く拝殿ありて、祭日には山内一統参詣して、御堂籠の御通夜をなし、
当日には権現獅子舞をなし、御湯立御神楽の獅子踊りを催し、三沢並に尾去、西道口、
蟹沢の村々より獅子踊り来りて踊を奏し神意を清しめ、山師々々より花を上げ諸役人達
よりも花を上げ、踊らせて終日神意を慰め奉りしもの也。御山内一統隔年に廻檀獅子の
廻るも此の因縁によるもの也。故に此大森山は、三沢並に獅子沢、笹小屋は申すに及ば
ず、長坂、西道、崎山等の親山にて、且つ前文化鳥並に獅子頭の御示現に依て、当尾去
沢開闢の神なるを以而、尾去沢総鎮守大森親山獅子大権現と号し奉りしもの也。
往古山師付の頃は、山師々々並に諸役人は申すに及ばず、山内の家々残らず参詣群集
して、山師よりは年々奉額奉幣の式も在りしもの也。其余風を以て御手山御取付より御
代参の式、是其流風残れり。
長坂山神堂の縁起には、大森は諸山の親山なるを以て、親山大権現と崇め奉り、当山
の惣鎮守也とあり。
扨又御山内へ盆中、両鹿角秋田在より獅子踊りの数多来るも此因縁に依てなり。山師
付の頃よりまづ最初に当り御山に来り真先に当獅子大権現の御社内にて踊り初め、それ
より段々順列を以而、踊りしは往古風儀なり。
然るに今は風儀も廃れ御山内へ踊の入るのみにて、御社内にて踊る事もいつしか止み、
果何の訳にて御社内へ来ると言ふ事も知らず来る也。是も生れぬ先の父を恋しく御山内
に来る也。往古は大森並に水晶山に古木大木生い茂りし頃は、小川なれども水かさ増し
余る程の川なりしが、いつしか此の山の木を切りいたし終に人里となり、淵は瀬となる
世になりぬれば、黒滝の景褪せて今は昔に変れり。
往古は参詣群集して尊崇せしかば、自ら神威も自然とまして格別の御利生あらたかに
して霊験奇瑞多く、別して心願事或いは病人平癒等の事には不思議奇妙の事多かりし也、
身の影に応ずるが如し。
其の頃山々繁り、長坂金山、西道、湧上り山或は五拾枚、又は六拾枚等の山々にてた
びたご大直り十年、二十年、三十年の久しき福報の大直り斗りを得、且宿願の事などに
はたびたび霊験ありしもの也。是所謂、神は人の敬ふに依て威を増し、人は神の徳に依
て福ひを得しもの也。
(尾去沢鉱山発見伝説へ続く)
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