08b 森林の思考・砂漠の思考〈一神教の成立〉
 
△インドへの波及
 旧約聖書列王紀上一〇章に,オフルから金と香料と宝石を輸入したと云う記事があり
ます。
 このオフルは,最近独立した紅海南岸のアファル・イッサであると同定されています。
ソロモンの船団は,疑いもなく紅海の東端まで達していました。インドの海岸にまで達
していたことも十分考えられることでしょう。古代に高い文明を誇った北西インドが,
イスラエルの到達した思考の論理的高さに影響されなかったとは考えられません。5000
年前に始まり,3500年前に一段落を告げた古代文明の世界において,文物の流通は想像
以上に活発で,例えば,バトル海の琥珀コハクがクレタ島で出土しており,アフガニスタン
の瑠璃ルリもまたクレタに出土しています。3000年前のソロモンの思想は,真っ直ぐイン
ドに伝わったと考える方が自然でしょう。
 
△インドにおける一神教
 神を考える場合,唯一と云うことが,人間の論理として必然であることを述べました。
従って,インドにも進行した一神化が,独自のものであったと考えることも不可能では
ありません。しかし,時代的な一致の状況から見て,イスラエルの一神化に触発されて,
インドでも一神化が進行したと考えることの方が自然です。
 インドも,「高温期」の農耕時代以来,多神教の世界でした。多くの神々のうちから,
主神の位置にまで進んだものの性格は,エジプトやイスラエルとの対比において実に興
味深い。それは,初め,火の神でした。農耕の起源は,レバノン,イラクの山間部であ
ったと考えられていますが,其処から初期農耕技術が拡大したとしますと,インドに達
したのは,その北西部が最初であったと考えてよいでしょう。インド北西部は,「高温
期」には,湿潤の地であり,ドラヴィダ人が農耕を基盤にしたインダス文明を開花させ
ていましたが,乾燥化の進行によって3500年前頃終息し,その乾燥した空間に向かって,
中央アジアの乾燥地帯で放牧をしていた騎馬民族であるアーリア人が侵入して,先住の
ドラヴィダ人とは異質な,しかし,それと融合した宗教文明を作り出しました。
 
 アーリア人はインドに侵入しますと,遊牧生活を捨てて農耕生活に入りました。イン
ダス川の流域は3500年前頃には既に砂丘が動き出し,川沿いの僅かの土地だけで農耕が
行われ,それも,潅漑用水が蒸発することによって析出する塩分の害のために放棄され
る処が続出しました。アーリア人は,農耕生活を行うために,未だ残っているインドの
他の部分の森林地帯に侵入して行ったと考えられます。そして,その森林を拓いて農地
にするため,火を使いました。アーリア人の残した文明の中には,湿潤及び森林との戦
いを示す文章が多く,そして,その戦いの結果として生じた生活空間にとって,火の神
の果たした力の大きかったことを諸所に表明しています。
 
 このように,火の神が,アーリア人の諸神の中で,初めに,主位に上ったのでしたが,
その地位を襲ったのが,太陽神です。このことは,インド北西部における乾燥化の結果
として,理解することが出来ます。5000年前以降の乾燥化の地域的違いを先に説明しま
したが,インドでは,それによって理解されるように,乾燥化は北から南へと云うより
は,寧ろ西から東へ進行して行きました。正確には,現在のモンスーンが後退すると同
じように,インド全体として見ますと北西から南東へ,乾燥化が進行して行きました。
 アーリア人の残した文献から推察しますと,アーリア人の東進は,乾燥化の進行より
も早く,従って,アーリア人は森林の中に突入し,其処で火の神が重要でしたが,その
開拓した空間は,やがて,自然の乾燥化の推移によって,十分に開かれた空間となり,
其処では,エジプトで太陽神が崇拝されたと同様に,唯一ではないにしろ,辺りを睥睨
ヘイゲイする太陽が主神の位置を奪うことになります。そして更に興味深いことには,時代
が更に進んで乾燥化が進行しますと,森林を焼くための火の神とは反対に,雨をもたら
すモンスーンの神が太陽神と並ぶ位置に上って来たのです。
 
△梵我一如の思想
 絶対年代でこの推移を観てみますと,火の神が重要視されたのは,3200年前頃で,太
陽神が優勢になったのは,3000年前頃です。モンスーンの神はずっと後で,2000年前以
降でしょう。
 2800年前頃,そういう,やや自然発生的な主神形成と並行して,異質の,従って外来
と考えざるを得ない一つの思索が展開しました。それは造物主の概念です。天地創造の
概念に初めて到達したのが,イスラエルの民であったことは述べました。その年代は,
イスラエル人がエルサレム付近に定着をした3200年前よりも前であり,イスラエル人は
定着によって,寧ろ,征服された農耕民の多神教が混入して純粋性を失いかけるのです
が,前述のように駱駝ラクダの家畜化の成功によるソロモン王の勢力の拡大により,天地
創造の概念は,遠くまで拡がって行きました。
 
 2800年前頃,インドに見られた造物主の概念は,その影響によるものと見ることが出
来ましょう。
 ところが,インドにおける造物主の概念は,不可知的に動く嵐の神から発展した,全
ての被造物を隔絶するイスラエルの創造主とは異なっていました。インドの造物主とは,
初めに水があり,その水が欲して造物主が生まれ,その造物主が天地を造ったと考えた
のです。これでは,造物主の概念として,殆ど自己矛盾を含んでいます。時間が去り行
き,空間が過ぎ行くと云うようなイスラエルの創造観とは,遥かに隔たりがあります。
 天地創造と云う概念は,後述するように,本質的にインドの思考とは調和しないもの
であり,従って,この段階における造物主も,イスラエルと云う外的刺激に触発された,
インドとしては異質の概念と云わざるを得ません。
 
 アーリア人自身,その矛盾には気が付いたのでしょう。「水が欲して造物主が生まれ
た」と云う表現では,万物の根源として,「水」に焦点が行きかねませんが,全体とし
ての文章に含まれる,「増大する」ということに思索を向け,その力と言葉をブラフマ
ンと名付け,それを万有の根本原理としたのです。すなわち,宇宙に充ち満ちている,
何かを生じさせる力,それをブラフマン,漢字では「梵」と表現しました。
 ところで,川とか,火とか,太陽とかの神を主神から唯一神の位置にまで高めたのは,
環境の変化に伴う人間の反応として自然なことでしたが,「増大する」と云うような抽
象的な概念を万有の根本原理とすると云うようなことは,決して,素朴なことではあり
ません。そこには,生活の直接の必要から生まれた思考と云うよりは,どちらかと云い
ますと,生活を離れた哲学的な思索の結果生まれたと考えざるを得ないでしょう。
 
 事実,アーリア人の中には,先住民ドラヴィダ人の習慣を引き継いで,人里を離れ,
森林の中に入って思索に没頭する人が少なくありませんでした。
 静かな森林の中で,一人瞑想をする時に,一番確かな存在は自分自身でしょう。然も,
黙想している自分のうちで感覚に上るものは,自分の呼吸だけです。感覚的に,最も本
質的と考えられるものは,この我です。その我をアーリア人は,アートマン,即ち「呼
吸」と云う言葉で表現しました。
 しかし,人間の論理として極限に発達したイスラエルの超越神の概念が到達しますと,
感覚的には唯一であっても,論理的には,やがて肉体の朽ちる我だけが本質であるとは
考えられません。決して論理的帰結とは思えませんが,宇宙に充ち満ちる力 − 梵 − 
と我とが一体となること,即ち梵我一如が真理であると考えるようになりました。瞑想
している人を外から眺めれば,この帰結は奇妙とも思えますが,自分を森林で黙想する
人に置いて見ますれば,理解し難いことではありません。
 造物主に関するこういう意識の違いが,本稿の主題である東西の違いの萌芽なのです
が,それが明確な形を執るのは,前述のようなイスラエル人の思想即ちユダヤ教と,ア
ーリア人の思想即ちバラモン教とが更に論理的に展開して,それぞれキリスト教と仏教
に発展したときでした。

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