08a 森林の思考・砂漠の思考〈一神教の成立〉
 
△ヤハウェの性格
 嵐神を通して到達したイスラエルの唯一神は,ヤハウェ,或いはエホバと呼ばれます。
この神が周知の通り,ユダヤ教の神であり,ユダヤ教から発展したキリスト教の神です。
このヤハウェの性格は,嵐の神の性格を引き継いだものです。砂漠の縁辺部であると云
うことは,雨の及ぶ限界と云うことです。その雨は,前線帯によってもたらされるもの
で,粗く観ますと,モロッコからイスラエルを経てインド北部,それから台湾とフィリ
ピンの間のバシー海峡に連なる区域で,冬雨の南下限界です。イスラエルは,この冬雨
の南下限界に当たっています。ところで,この南下限界にあるイスラエルは,日々の変
動のみならず,年々の変動も著しいので,当然のことながら,一つ一つの雨が「幸い」
として捉えられているのです。それを司る神は,幸いをもたらす恵みの神であると同時
に,また,時として遠くに隠れてしまった災いをもたらす恐ろしい神でした。その行動
は,全く人知を超えたものであって,神自身の,人間には不可知的な意志によって世界
は動いており,人間の力は,それに向かっては如何ともし難いものと云う超越的な神を
意識することにより,それによって,人間が自分の力を外に流出させる呪術も初めて力
を失うようになりました。同じ唯一神でも,エジプトにおける太陽神は,一年を周期と
して正確に位置を変え,ナイルの水位を上げる秩序の神であり,その行動は人間の予想
可能範囲にあったため,イスラエルにおける程は,神の超越性に到達することはありま
せんでした。
 
△天地創造の概念
 人間にとって感覚的に一番確かなのは,自分が存在すると云うことです。従って自分
の力を外に流出させる呪術と云うものは,極めて根強い力を持っているものであり,現
代社会のわれわれもまた例外でないことは前述しましたが,一方,論理の進行によって,
自分を超えるものの力も認めざるを得なくなります。
 感覚的には全く捉えることはできませんが,自分が母の胎内から出て来たものである
ことを,論理的に否定することの出来る人はいません。母からの出生と云うことに,感
覚は及ばなくとも周囲に起こる事実の経験と,それを一般化する論理によって認めざる
を得ないと同様に,イスラエルの民は,感覚の及ばない出来事ではあるが,人類が,そ
の神によって創られたと考えるようになりました。
 
 驢馬ロバは,水のある処から一日以上離れて生存することき出来ませんので,驢馬によ
って定着農耕民の周辺に寄留的に生活していたイスラエル人は,自分たちの生存が,決
して完全に保証されたものではないこと,嵐の神の,一方向的な恵みによって雨が降り,
草が生えて,自分たちの生存が成り立つことを,経験で知りました。自分の力の流出に
よってではなく,神からの一方向的な力によって成り立っている自分が存在していると
云うこと自身が,また神の意志であるに違いない。存在をあらしめるもの,それは創造
であり,自分自身が神によって創られたものであると云うことを,決して経験的には捉
えることが出来ないものであるとしても,イスラエルの民は,論理的に認めざるを得ず,
また認めることによって,心の安定を得ました。
 
 自分自身が神によって創られたものであると意識することは,自分を取り巻く,動物
や植物,更に天地万物が神によって創られたものと考えるようになることは必然で,こ
うして,天地創造と云う概念が成立することになります。天地万物の中には,天と地の
中のあらゆる物,空間自身も神によって創られたものであり,また,もし,何事も変化
が起こらなければ,例えば,今鳴いている鳥が,一瞬前には鳴いておらず,また,一瞬
の後にも鳴いていないと云うことがなければ,人は,鳥と云うもの,即ち,一つの空間
も意識することはないかも知れず,空間が神によって創られたのであれば,時間もまた
神によって創られたと考えるようになるのは,われわれの経験を超えたことであっても,
これを,論理的に認めざるを得ないことになります。
 
 時間も,空間も,絶対的な神によって創られたものである以上,それは絶対的なもの
ではなく,相対的なものであると云う時空に関する根本的な態度から,アインシュタイ
ンの相対性理論が生まれました。それが事実であるとしたならば,聡明な誰でもがその
理論に,何れは到達出来るでしょう。しかし,そのことを論ずることの出来るのは,時
空をも相対的なものとして理解している人々の間で可能性が高いことは認めざるを得な
いでしょう。「空間はすぎゆき,時間は去りゆく」と云うような文章を最初に理解し得
る人は,砂漠の縁辺部の人であった筈です。砂漠には未だ人が存在し得なかったのです
から,それは,人間の中で最も砂漠的な人間であったと云うことが出来るでしょう。
 
△砂漠的思想の拡大
 イスラエルと云う,砂漠と農耕地帯の縁辺部に,最も砂漠的な思想が形成されたこと
は前述しました。その思想は,日常の経験の上にたって形成されたとは云え,人間の論
理にとって, − 例えば人間の論理に拠りますと,神々の中には主神が存在せざるを得
ず,それが唯一神となって初めて論理が完結する − 一つの究極点であったために,そ
の論理の力によって拡大する内因を持っていましたが,もう一つ,外因としてイスラエ
ルの思想の拡大する契機が出現しました。それは,駱駝ラクダの家畜化でした。駱駝は陸
上哺乳動物の中で,最も高温と乾燥に抵抗力のある動物であって,この家畜化が成功し
たのが,今から約3200年前でした。この結果,人間の世界の勢力分野に大きな変動が生
じました。砂漠は,これによって人間の生活空間の中に入っただけでなく,それ以上に,
遠距離の物資を直線で結ぶ,巨大な流通空間になったのです。森林は,人類の発生以来,
流通を阻害する空間であり続けました。草原が民族移動の空間であり,交易のルートで
もありましたが,新たに砂漠が人間にとって重要な空間となりました。しかし,砂漠自
体は,海と同じように,それ自体生産するものは少ない。砂漠の縁辺部が,海の縁辺
部,即ち海岸の意味を持ち,その中の特定の場所が港として,繁栄を享受することにな
ります。イスラエルは砂漠の縁辺であり,かつ,三大陸の接する交通上の要所として,
その利を得ました。イスラエルは,砂漠の縁辺で半放浪の生活を送る民でしたが,カナ
ンの地に侵入して定着した前後に,駱駝の家畜化と云う人類史上の大事件に遭遇したた
めに,ソロモンの栄光と呼ばれるような,繁栄を享受することが出来たのです。
 
 このソロモンの栄光の力は,武力により,また,経済力によって,周囲に拡がって行
きました。有名なソロモンとシバの女王の物語は,その有り様を生き生きと伝えていま
す。シバの女王は,アラビア半島南端のサバ王国の女王であったと一般に云われていま
す。しかし,サバからは,その当時(約3000年前)盛んにエチオピアに移住が行われて
おり,エチオピア移住後もサバを名乗っていましたので,シバの女王は,エチオピアか
らエルサレムに知恵競べに上ったのだ,とも考えられています。何れにしてもこの物語
によって,直接的に,或いは間接的に知られることは,少なくともアラビア半島からエ
チオピアまで,ソロモンの影響が及んでいた訳で,事実,アラビア半島南端のイエメン
とエチオピアには,今日まで少数民族としてユダヤ教徒が残っており,しかも,彼等は
近代の移住民ではなく,年代の分からない,古い時代からの先住民で,古いユダヤ教文
化を伝えています。
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