02a 伊勢神宮と陰陽五行思想
〈伊勢神宮の秘神〉
古代日本の天皇は,国家主義者であればある程中国の皇帝像に自らを近付け,自身の
姿を其処に重ね合わせようとされます。この一見矛盾した現象は,王オウキミの名称に天皇
を撰んだと推測される推古朝において既に明白でした。「天皇大帝とは北辰の星なり」
と『春秋合誠図』に観え,北極星は古くから君主に例えられていました。北極星の名称
である天皇大帝が,日本の王の呼称として用いられるようになったとき,或いは時を同
じくして皇祖天照アマテラス(大神)も,この宇宙大元の神に習合されたかも知れません。
しかし現身ウツシミであられる天皇はともかく,皇祖神であり,且つ日神の天照大神に,
このような皇神の習合が同時にそう簡単に行われたとは到底推測できません。その習合
は仮令時間の問題であったとしても,時代は可成り降ることになるでしょう。
その習合の時代は何時か。筆者はそれを天武朝と推測します。
既に推古朝から天武朝に至るまでに65年の時が過ぎています。その間,白村江の敗戦,
壬申の乱のような内外の戦はあったとしても国家諸制度の整備,経済の発展は皇権の格
段の伸長を促し,天皇像を高める周囲の客観情勢は,それ以前の如何なる時代にも優っ
ていたと推測されるのです。
天皇を神とする,しかも辺土のそれではなく,宇宙的規模における現人神アラヒトガミとし
ての認識を自他共に抱き,抱かせたのは天武持統朝でした。
しかし事はそれだけでは済みませんでした。この国土や現世を支配し代表する,大和
首長の宇宙神への昇格は,同時にそれに対する神界の首長であられる天照大神の宇宙神
への昇格を以て初めて完成されるのです。中国哲学に説かれるところの,天の北極を中
心とした天宮にまで,伊勢を高めてこそ,この日本の現世や幽界共に宇宙的規模にまで
発展させられるのです。
こうしてそれまで東西の横の関係にあった神界と人間界は,中国風に天と地,上と下
の縦の関係に置き換えられることになります。この立体的な上下の関係を地上に持ち込
んで平面化しますと,神聖方位は日本古代信仰における東方ではなく,「北」又は「西
北」となります。北は北極星太一の居処であり,西北は『易』における「乾イヌイ」で,天
を象徴するとされているからです。
(1) 内宮・外宮の成立
伊勢を中国哲学に拠る「天」とするためには,天照大神を「太一」に習合させねばな
らず,そうして次の段階としては当然この太一と不可分の関係にある「北斗」も新しく
祀らねばならなくなります。然も中国思想において天を象徴する方位は「乾(戌亥イヌイ)
」ですから,西北の丹波から「止由気トユケ」という北斗の神が勧請カンジョウされ,太一を祀
る内宮に対し,その西北の度会ワタライの地に鎮座されることになりました。太一は内,北
斗はその外側を廻る神故,ここにおいて,内宮・外宮の呼称が成立しました。
内宮が太一の宮居,外宮が北斗の宮ですと両宮に伝承される秘紋は両宮の本質を象徴
するものとなるでしょう。つまり内宮の屋形文錦は中国風の御殿を模したものですが,
それは太一の宮であることを示し,外宮の刺車文錦は天帝の乗車としての北斗七星を示
し,外宮がその宮であることの表示となるのです。
(2) 北斗七星について
『准南子エナンジ』天文訓(紀元前2世紀)に,
「北斗の神に雌雄あり。十一月に始めて子ネを建オザし、月ごとに一辰シンを徒ウツり、雄
は左に行メグり、雌は右に行り、五月に午ウマに合うて刑を謀ハカり、十一月には子に合うて
徳を謀る。」
と観えています。
これを意訳しますと,「北斗の神に雌雄があり,旧11月(冬至)午後8時頃に,その
剣先は真北の子方ネノカタを指す。以後,雌雄は別行動をとり,月毎に十二支の中の1支ず
つを指して行き,雄は左廻り,雌は右廻りによって,半年後の旧5月(午月ウマノツキ)に南
の午方ウマノカタで相合し,ここで殺気を謀り,11月(子月)には再び北に合して生気のこと
を謀る。」というのです。
北斗七星は太極としての北極星を中心に規則正しく廻転し,その尾又は剣先は1年に
12方位を指します。つまり黄昏の午後8時頃に北斗の剣先が寅の方を指す時が寅月(旧
正月)であり,卯を指す時が卯月(旧2月春分)です。
『准南子』に説かれているように子ネを指す時が冬至を含む旧11月であり,午ウマを指す
時が夏至を含む旧5月です。
冬至と夏至を境に日は或いは長く或いは短くなります。つまり子午線を中心に子から
午への軌ミチは陽(生)であり,午から子への軌は陰(死)であって,これが前述の『史
記』に云われる陰陽を分かち,四季の調整者としての北斗の徳なのです。
中国人によって北斗七星の運行はこのように捉えられましたが,この半ばは事実,半
ばは架空の中国思想所産の北斗の運行は,伊勢神宮の祭りの中にそっくりそのまま再演
されていると筆者は推理します。なお,伊邪那岐・伊邪那美命の天の柱を巡る神話もこ
れに拠っていることは想像に難くありません。
以上述べましたように,1年12ケ月の月名も北斗の剣先の指す処に拠っているのであ
り,北斗が尊崇された所以はその規則正しい運行にあります。しかし北斗信仰は天の大
時計としてのその運行と共に,その形状にもあります。
周知のように北斗はその第一星から第四星まで斗マスを形成する部分が「魁カイ」,それ
に対して第五星から第七星までの尾部が「杓シャク」と呼ばれます。北斗の動きはその「魁
」を魁サキガけとして先頭としますが,その様子は恰も天の大匙がその凹みを大元の北極
星に向けて廻転しているようです。この様相は古代の人の空想力を十分に刺激し,一方
において北斗は祖神への供饌を媒介するものとしても捉えられていたものと推測されま
す。
北斗という天の斗マスである大匙を通すことによって初めて天帝に供饌が到達するので
あって,直接に祖神に供えてもそれは届きません。伊勢神宮の外宮先祀はこの他にもな
お複雑な原因が考えられますが,北斗の匙を通した供饌が祖神に初めて届く,という考
えが十分に窺われるのです。
北斗七星は「旋キ玉衡センキギョクコウ」という美しい異称を持ち,それは「廻転する美しい
キ(「王偏に幾」(タマ))の意ですが,従来謎とされています伊勢神宮のユキ大御饌オオミケ
の「ユキ」は筆者は「輸キユキ大御饌」と解します。キ(王偏に幾)に輸ユし送られる御饌
ミケが,太一に習合されている天照大神に初めて届くのです。事実,神饌は,北斗が習合
されています豊受トヨウケ大神を経由して天照大神に捧げられています。
中国古代の星空のロマンが天武朝のときに日本に移され,数百年間に亘って神宮の奥
深く息づきながら,秘儀として伝承されている中に,謎の霧に包まれてその痕アトを隠し
てしまったものと筆者は推測します。
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