03 道教と古代日本/「天皇」考
 
            道教と古代日本/「天皇」考
 
               参考:人文書院発行福永光司氏著「道教と古代日本」
 
〈天皇と道教〉
 日本の古代文化が中国の土着宗教である道教ドウキョウの思想信仰と明確な関連性を持ち
始めるのは,それまで「きみ」とか「おほきみ」とか呼ばれていました,この国の元首
を新しく道教の神学用語である「天皇」の概念を用いて,厳オゴソかに,また清々しく呼
び改めた時期からです。
 その時期は,日本国として初めて中国と正式の国家的な交渉を持った遣隋使ケンズイシ派
遣の頃,即ち聖徳太子が摂政として活躍された6世紀の終わりから7世紀の初めにかけ
てではないかとする説も有力ですが,道教としての文献実証的に確実な関係ということ
になりますと矢張り,それよりも半世紀余り後れる天武テンム・持統ジトウ朝チョウの頃という
ことになります。
 持統皇后を生母として天武の皇太子であられた草壁皇子クサカベノオウジ(日並皇子尊ヒナミシ
ノミコトとも)の689年(西暦。以下同じ)4月の若き死を悼んで,当時の宮廷歌人柿本人麻
呂カキノモトノヒトマロの作った挽歌(『万葉集』巻二)に,
 「清御キヨミ原の宮に神ながら太敷フトシキまして天皇スメロキの敷ます国」
とあるのがそれであり,この挽歌に用いられています「天皇」の語は,その5年前の天
武13年(684)に制定された「八色ヤクサの姓カバネ」が,中国の道教の神学である神仙世界
の高級官僚を意味し,最高神の「天皇」と揃いで組み合わされています「真人マヒト」の称
号を,日本の天皇家の一族のみに賜る「姓」として採用していることと緊密に対応しま
す。
 因みに,この「真人」の語は,686年9月に崩御ホウギョされました天武天皇の諡オクリナ「
瀛真人オキノマヒト」としても用いられており,「瀛真人」とは,道教の神学において「瀛エイ
州」と呼ばれる海中の神山に住む神仙世界の高級者という意味なのです。
 日本の古代国家の元首を呼ぶ言葉として新しく採用された「天皇」の概念は,前述の
ように本来は中国の土着宗教である道教の神学用語でしたが,この「天皇」という神学
的な概念が一度日本の古代において国家元首を新しく呼ぶ言葉として採用されるように
なりますと,その日本国の国家元首もまた必然的に「天皇」の概念が本来的に持ってい
た様々な道教的性格を殆どそのまま継承することになります。
 
〈天皇と神器ジンギ〉
 道教の神学において,最高神である天皇(天皇大帝)は,その宗教的神聖性の象徴と
して二種の神器を持つとされます。鏡と剣とがそれであり,「神器」という言葉も道教
の教典である「道徳真教(『老子』第29章)」などにその用例が観えています。
 鏡を天皇の神器とする道教の神学思想の源流は,同じく道教の教典である「南華真経
(『荘子』)」に,
 「至人の心を用うるは鏡の若ゴトし(応帝王篇)」
 「聖人の心は天地の鑑カガミなり。万物の鏡なり(天道篇)」
などとあるのに指摘されますが,この道教の神学と直接的に関連する典拠としては,漢
代の讖緯シンイ思想文献,いわゆる緯書イショ(『春秋孔録法』)の中に,
 「人有り卯金刀、天鏡を握る」
とあるのなどが注目されます。
 712年元明天皇の和銅5年に成った『古事記』の天孫降臨の記述において,天照大御神
が迩迩芸命ニニギノミコトに対し,
 「此れの鏡は、専ら我が御魂ミタマとして吾が前を拝イツくがごと拝きまつれ」
と詔しておられるのも,鏡を至人若しくは聖人の心、乃至は漢の王朝の劉リュウ(卯金力)
氏の皇帝権力の神聖性の象徴として観るこれらの道教的思想信仰と密接な関連性を持つ
のです。
 一方また,剣を皇帝権力の神聖性の象徴とする道教的思想信仰も,漢王朝の創始者で
ある高祖劉邦リュウホウの斬蛇剣の神話として既に古く『史記』や『漢書』に記述が観え,六
朝時代の道教神学の確立者の陶弘景の撰書『古今力剣録』にも,このような神剣や霊剣
の宗教的神秘性乃至神聖性の具体的記述が観えています。同じく『古事記』の素佐之男
命スサノヲノミコトの"斬蛇剣"である「草那芸クサナギの大刀」が神剣として天照大御神に献上さ
れ,その神剣がまた天孫降臨の際に下賜され,その下賜された神剣が更にまた「伊勢の
大御神の宮」において倭比売命ヤマトヒメノミコトから甥の倭建命ヤマトタケルノミコトに授けられて,遂に
尾張の熱田神宮に奉祀されることになる顛末も,道教の剣の思想信仰と密接な関連性を
持ちます。
 道教の神学における鏡と剣を二種の神器とする思想信仰は,中国の六朝時代に『抱朴
子』の著者葛洪や『真誥』の編著者陶弘景色等によって,その理論的基礎が確立されま
すが,この二種の神器の思想信仰を日本の天皇の皇位の象徴として,殆ど直訳的に採り
入れているのは,8世紀初めに成った『日本書紀』です。
 
〈天皇と八角形〉
 京都御所の紫宸殿シシンデンの中央には「高御座タカミクラ」が置かれ,その構造は明確に八角
形になっています。この高御座は,1914年の大正天皇御即位の際に特に古式に則って作
られたと云われていますが,一方また遠く古代に遡って,奈良の飛鳥地域には7世紀後
半に作られた天皇の御陵墓が幾つかあり,それらの構造も平面の形がそれぞれ八角とな
っています。
 更にまた鎌倉時代に書かれたとされる神道書『皇太神御鎮座伝記』などの記述に拠れ
ば,伊勢神宮の内宮の御神体とされている鏡もまた「八咫ヤタ」若しくは「八頭,八葉形
」即ち一種の八角形であると云い,極最近に刊行された考古学関係の学術討論書『難波
京と古代の大阪』にも,孝徳朝若しくは天武朝の前期難波宮遺跡からも「八角殿院」と
呼ばれている宮殿建築の八角形礎石が発掘されたと報告されています。
 何れも日本国の天皇と八角形とが密接な関連性を持つことを示す遺跡遺構の実在に関
しては,例えば『古事記』の太安万侶オオノヤスマロの「序」に
 「天武天皇、乾符を握りて六合リクゴウをすべ、天統を得て八荒を包みたまう」
と記しているのがそれであり,同じく『日本書紀(神武紀)』に天皇の橿原宮における
即位前年の詔令として
 「六合を兼ねて以て都を開き、八紘をひらいて宇イエと為す云々」
を載せているなどがそれです。文中の「八紘」は「八荒」と同義で,宇宙若しくは世界
の全体を八角形として把握認識することを意味し,同じく全宇宙(世界)を意味する「
六合」の語と共に道教の教典『准南鴻烈(原道篇)』などに初見されます。
 つまり道教の神学における宇宙の最高神の天皇(天皇大帝)の,八紘(八荒)即ち無
限大の八角形の中心に高御座を置いて,全宇宙(世界)を一宇(一家)として統治する
神聖な政治理想を意味するものに他ならず,この神聖な政治理想はまた道教の神学にお
いて,屡々「天下太平」若しくは「天地太和」とも呼ばれています。いわゆる「八紘為
宇」若しくは「八紘一宇」とは,道教の最高神たる天皇(天皇大帝)の神聖な政治理想
であるとともに,日本国の天皇の神聖な政治理想でもあったのです。
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