02 伊勢神宮と陰陽五行思想
 
             伊勢神宮と陰陽五行思想
 
                参考:人文書院発行吉野裕子著「易と日本の祭祀」
 
〈伊勢神宮の謎〉
 伊勢神宮は皇室の祖先神であられる天照大神を奉斎する宮として,現在でもなおその
尊貴性,組織の強大さにおいて他に冠絶する社です。そのような社でありますので,神
宮に関することは,全て解明し尽くされているように一般には推測され勝ちです。しか
し事実はこれに反し,現在でもなお多くの謎に包まれています。その数例を挙げますと,
 @内宮ナイグウ,外宮ゲグウの呼称
 A外宮先祀
 B内宮伝承屋形文錦・外宮伝承刺車サシクルマ文錦の縁由
 C内宮・外宮鰹木の数
 Dユキ大御饌の名称の由来
等々その主なものだけでも十指に余ります。
 それらの謎の中枢にあるもの,或いはそれらの謎を解く鍵,それが次に述べる「太一
タイイツ」であろうと筆者は推測します。
 例年,6月24日には皇大神宮別宮伊雑宮イゾウノミヤの御田植神事が行われます。その際,
神田に西側に立てられる大翳オオサシハに「太一」の文字が大きく墨書されますが,太一,或
いは大一の字は,ご遷宮の際のご用材にも刻され,御杣祭ミソママツリの幟ノボリにも大書され
ます。
 「太一」とは,中国の宇宙神の神名です。処もあろうに皇室の祖先神を祀るこの社に,
何故に異国の神が現れるのでしょうか。
 
〈伊勢神宮と天武天皇〉
 天武テンム天皇と伊勢神宮の関係は深く,壬申ジンシンの乱の最中サナカにおいて,天武天皇は
朝明郡の川畔から伊勢神宮を遥拝して戦勝を祈願され,皇祖として格別に手厚く奉斎さ
れていたことは,正史の簡潔な記事の中からも十分窺われるのです。
 天武天皇の伊勢神宮崇敬は当時の国家意識高揚の結果でしょうが,一方この国家意識
と一見矛盾するかのように,中国古代天文学と密接に結び付いている古代中国哲学,つ
くり陰陽インヨウ五行ゴギョウ思想盛行セイコウの諸相も,またこの時代に集中して観られるので
す。例えば日本最初の占星台設置,前後の時代に類のない天文観測の記事などです。記
紀編纂の着手はこの天武朝ですが,天武朝 → 中国古代天文学及び陰陽五行思想 → 記
紀編纂の筋道は,日本神話の中における中国思想の濃厚な反映を示唆するのです。その
ことは夙ツトに飯島忠夫博士によって次のように指摘されています。
 「日本書紀には陰陽思想が含まれています。特に神代の巻において最も著しい。陰陽
思想は中国の天文学の理論であって,天地の成立も皆之によって説明されます。易エキの
哲学もまたこの適用に外なりません。そして五行思想はまたこの陰陽思想の展開したも
のです。日本の神話説話の初めにある天地開闢カイビャク,国土生成の段にこの思想が加わ
っていることは,神代説話に中国文化の影響があることを談モノガタっているものと云わね
ばなりません。・・・・・・・准南子エナンジには『北斗の神に雌雄あり。雄は左より行メグり雌は
右より行る』と記していますが,北斗には七星があるから雌雄の神も7組あります。こ
の雌雄はまた陰陽です。帝(太一神)はこの7組の陰陽神を使って万物を創造させると
いうのでしょう。」
として,神世七代の神を,北斗七星の雌雄の神に対応させております。
 祭りは神話の再演と云われています。飯島博士によるこの指摘がありながら,陰陽五
行は迷信として退けられ,日本の祭学を始め隣接諸科学の研究方法の中に導入されるこ
とが無かったのは,それらの諸学にとって重大な損失であったと推測せざるを得ません。
 
〈陰陽五行思想の概要〉
 中国古代天文学においては,天の北極星を中心とする部分が天の中心と考えられ,此
処を中宮チュウグウと呼びました。中宮は北極星及びその周囲にある星座から成立します。
北極星の神霊化が最高神「太一」でして,その太一の居所は北極中枢附近の最も明るい
星とされています。その近くに太子や后の星があり,この天帝一家の一団を紫微宮シビ
キュウと名付けています。
 太子に接して北斗七星があり,北極星及び北斗七星を総称して北辰ホクシン(北の星のこ
と)と云っています(また北辰は北極星のみを指すこともあります)。北極星は動かな
い星です。この動かない星の北極星,つまり太一に対して,その周りを一年の周期で廻
る北斗七星は,当然動く星として意識され,この動かぬ星と動く星の関係は,天帝とそ
の乗車として捉えられることになります。
 『史記シキ』天官書第五には,
 「斗を帝車となし、中央に運り、四郷を臨制す。」
と述べられています。北斗は太一の乗車で,天帝はこれを御ギョして宇宙に乗り出し,四
方上下を治めると云います。
 事実,北斗七星は北極星を中心に1時間に15度ずつ動き,1昼夜でその周りを1回転
し,1年でその柄杓の柄は12方位を指します。従って北斗は絶対に止まらない天の大時
計として『天官書』には陰陽,つまり夏冬を分け,四季の推移と二十四節気を調整し,
五行の円滑な輪廻を促すものとしています。この北斗の人類に為す最大の貢献は,農耕
の基準を示し,民生の安本を保証することであって,農事を基本とする生活暦が北斗の
運行を基に作られていたのです。
 天帝「太一」に対する北斗の役柄は車だけではなく,その強力な輔弼ホヒツとして太一と
最も緊密に間柄となっています。太一は前述のように北極星の神霊化ですが,同時に太
一は中国哲学における「太極タイキョク」の神格化でもあります。太極とは何でしょうか。そ
れは中国の宇宙創成説話に関わってきます。
 『准南子』に拠りますと,原初,宇宙は未分化の混沌であったが,その中から清明の
陽気は天となり,重濁の陰気は下降して地となったと説きます。陰陽二気は元は同根故
に互いに交感交合し,地上においては木モク火カ土ド金ゴン水スイの5原素を生じ,この5原
素の輪廻や作用が五行であると云います。
 陰陽五行説の理解には,この陰陽二元を派生する最初の存在である,一の数によって
象徴される太極の把握が最も重要です。冒頭に述べましたように北天の北極星を宇宙の
大元と観て,それを神格化して太一としていますが,この太一が同じく原初に宇宙の唯
一絶対の存在である「混沌」又は「太極」の神格化なのです。
 北極星 = 「太一」,太極 = 「太一」ということは,この間の事情をよく物語って
いると云えましょう。
 
〈現世の常世トコヨとしての伊勢〉
 伊勢神宮は大和朝廷の存在する大和の真東にあり,共に北緯34度5分線上にあって,
東の果ての国,つまり傍国カタクニです。大和から見て東の最果ての伊勢は,この世ながら
の東の神界,常世として,西の人間界である大和に相対せられていたと推測されます。
伊勢は東西という横の関係において,この現世における日出づる神界,つまり東の常世
でした。
 神界と云い,常世と云い,名称は美しいがつまるところは彼の世アノヨ,即ち後生ゴショウ
であり,天照大神の祖霊の鎮まる処であって,現世の帝王である大和朝廷に執って,伊
勢の地を踏むことは禁忌(タブー)でした。明治に至るまで天皇の伊勢神宮への行幸が
なされなかったことは謎とされていますが,筆者はそれは,大和朝廷に執って,伊勢神
宮は皇室専用の神界であり常世であった,と解釈します。
 こうして東の神界である伊勢に太陽神である天照大神のみを奉斎していたのでしたが,
天武天皇に至って伊勢神宮はその性格を大きく変えることになります。その経緯を筆者
は次のように推理します。
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