74 菅家文草〈有所思〉
 
                参考:太宰府天満宮文化研究所発行「菅家の文華」
 
〈有所思〉    −  思ふ所有り
  元慶六年夏末、有匿詩。 − 元慶六年夏の末、匿詩有り。
  誹藤納言。納言見詩意之不凡、疑当時博士。余甚慚之。命矣命矣。 − 藤納言を誹
  る。納言詩意の凡ならざるを見、当時の博士を疑ふ。余甚だ之を慚づ。命なるかな
  命なるかな。
君子何悪処嫌疑     君子何ぞ悪ニクまん、嫌疑に処オるに
須悪嫌疑渉不欺     須スベカらく嫌疑の欺かざるに渉ワタるを悪むべし
世多小人少君子     世には小人多く、君子少し
宜哉天下有所思     宜ウベなるかな、天下思ふ所有ること
一人来告我不信     一人来り告ぐるも我信ぜず
二人来告我猶辞     二人来り告ぐるも我猶ほ辞す
三人已至我心動     三人已に至りて我心動く
況乎四五人告之     況んや四五人の之を告ぐるをや
雖言省内而不病     内に省カヘリみて病ヤマシからずと言ふと雖ども
不知我者謂我痴     我を知らざる者は我を痴と謂はん
何人口上将銷骨     何人の口上か、骨を銷ケさんとする
何処路隅欲僵屍     何処の路隅にか、屍シカバネを僵フせんとする
悠々万事甚狂急     悠々たる万事、甚だ狂急キョウキュウ
蕩々一生長嶮戲(山偏+戲) 蕩々たる一生、長トコシナへに嶮戲(山偏+戲)ケンキ
焦原此時谷如浅     焦原ショウゲン、此の時谷も浅きが如く
孟門今日山更夷     孟門、今コの日山更に夷タイラカなり
狂暴之人難指我     狂暴の人と、我を指し難からん
文章之士定為誰     文章の士を、定マサに誰と為セむ
三寸舌端駟不及     三寸の舌端には駟シも及ばず
不患顔疵(疵の此の代わりに比)患名疵(疵の此の代わりに比) 顔の疵(疵の此の代
            わりに比)キズを患へず、名の疵(疵の此の代わりに比)を患
            ふ
功名不立年未老     功名立たず、年未だ老いず
毎願名高年亦耆     毎ツネに願ふ、名高く年も亦耆キたらむことを
況名不潔徒憂死     況んや名潔キヨからずして、徒イタズらに憂死せんや
取証天神与地祇     証を取る、天神と地祇と
明神若不愆玄鑑     明神メイシン、若し玄鑑を愆アヤマたずんば
無事何久被虚詞     事無きに何ぞ久しく虚詞を被コウムらん
霊祇若不失陰罰     霊祇レイキ、若し陰罰を失はずんば
有罪自然為禍基     罪有るは自然に禍の基と為らん
赤心方寸惟牲幣     赤心の方寸、惟コれ牲幣セイヘイ
固請神祇応我祈     固マコトに請ふ、神祇我が祈りに応コタへんことを
斯言雖細猶堪恃     斯コの言細ササヤカなりと雖ども、猶ほ恃タノむに堪ふ
更慚或人独自嗤     更に慚セむ、或人の独り自ら嗤ワラふを
内無兄弟可相語     内に兄弟の相語るべき無く
外有故人意相知     外に故人の意相知る有り
雖因詩与居疑罪     詩に因りて与カ、疑はしき罪に居ると雖ども
言者何為不用詩     言ふ者は何為ナンスれど詩を用ひざらむ
 
君子は、単に疑いを掛けられることには気を掛けないが、
疑いが欺くべからざる事実であるとなると悪ニクまざるを得ない。
この世には小人が多く、君子は稀だ。
悩み事の起こるのも尤もだ。
一人が来て知らせても私は信用せぬ。
二人が来て知らせても、なお斥シリゾける。
三人目となると、平然として居れなくなる。
まして四人五人となると尚更だ。
省カエリみて何の後ろ暗い点はないが、
私を知らぬ者は馬鹿な奴だと言うだろう。
何人の進言か、私の骨を損ない、
路傍に野垂れ死にさせようとする。
悠々たる天地万象も、私には狂える如く見え、
平安なるべき一生も、永久に嶮ケワしからんと思える。
万仭の谷焦原もこれに比ぶれば浅く、
難阻な隘道孟門もこれに比すれば平らかだ。
誰だって、私を狂暴な人とは言えぬだろうし、
文章の士は多いから、匿詩の作者が誰だとも決めにくかろう。
しかし、一度出た虚言は消えやらで、
私は名誉を傷付けられたのが口惜しい。
私は年も未だ若く、功名とてもないが、
常々名も挙げたい、長生きもしたいと念じている。
それを、汚名のままで憂死するなど、我慢出来ようか。
天神地祇よ、私の潔白を証明して下さい。
神が誤りなく正邪を鑑定して下さるならば、
実ミもない私の濡衣はやがて乾くだろう。
神が罪ある者を暗々裡に罰する力をお備えならば、
真犯人は自然に罰を受けるであろう。
この方寸の赤心こそが、神へのお供物、
願わくば神祇よ、私の祈りにお応え下さい。
この神への献詞は、ささやかだけれど頼みにはなりそうだ。
ただ憎いのは、真犯人が何処かでせせら嗤っているだろうこと。
私は内に相語るべき兄弟はいないが、
外には気心をよく知って呉れている友は居る(その友に私が匿詩を作るような卑劣漢か
どうか訊いて貰いたい)。
私は詩のせいで疑われているけれど、
自分の心中を披瀝するには、矢張りこの詩による外ない。
 
 「焦原」は山東省呂(草冠+呂)県の南にある山の名、万仭の谷に臨むと云う。
 「孟門」は大行山の東にあり、嶮しい山道が続くと云う。
 
 
〈酔中脱衣贈斐大使、叙一絶寄以謝之〉 − 酔中衣を脱ぎて斐大使に贈り、一絶を叙べ
            寄せて謝す
呉花越鳥織初成     呉花越鳥、織りて初めて成る
本自同衣豈浅情     本自モトヨリ衣を同じくする、豈浅き情ならむや
座客皆為君後進     座客は皆、君の後進たり
任将領袖属斐生     領袖リョウシュウに任将ニンショウして斐生に属ショクせむ
 
呉の花、越の鳥 − この模様を織り出した綾に美しい着物を君に贈る。
同じ着物を着ると云うのは深い友情を篭めているのです。
一座の者は皆、貴方の後進です。
されば大使よ、貴方に衣を贈るのは、この一座の領袖をも委ねる意も含んでいるのです。
 
 
〈詩情怨〉
 大使は、道真の詩は白楽天に似ると言って誉めた。白楽天に似るとは、当時としては
最高の褒辞なのだが、献酬の詩が街に流れると、道真の詩は下手糞だ、国の恥晒しだと
の悪評が聞こえた。
 匿名の詩は傑作だから道真以外に作者を考えられぬと云い、署名入りの献酬詩はどう
せ道真だから下手糞だと云うのである。
 
 去歳人は驚く、作詩の巧なるを
 今年人は謗ソシる、作詩の拙なるを
 鴻臚館裏、驪珠リシュを失ひ
 卿相門前、白雪を歌ふ
 名を顕はしたるは賎しきにも、名を匿したるは貴きにもあらず
 先なる作は優れたるにも、後なる作は劣れるにもあらず
 
の十韻からなる「詩情怨」はこの時の作で、これを「故人の意ココロ相知れる」大内記菅野
惟肖と文章得業生紀長谷雄とに示した。惟肖は長句二篇を贈って安慰し激励する。漸く
道真は出家を思い留まり、惟肖に感謝の詞二篇を贈った。
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