75 菅家文草〈夢阿満〉
 
                参考:太宰府天満宮文化研究所発行「菅家の文華」
 
〈夢阿満〉    −  阿満を夢む
阿満亡来夜不眠     阿満亡じて来コノカタ夜も眠らず
偶眠夢遭涕漣々     偶々タマタマ眠れば、夢に遭ひて涕ナミダ漣々レンレンたり
身長去夏余三尺     身長、去夏は三尺に余り
歯立今春可七年     歯ヨハヒ立ちて、今春は七年なるべし
従事請知人子道     事に従ひて人の子の道を知らんことを請ひ
読書諳誦帝京篇     書を読みて帝京篇を諳誦したり
(初読賓王古意篇)   (初め賓王の古意篇を読めり)
薬治沈痛纔旬日     薬の沈痛を治むること纔かに旬日
風引遊魂背九泉     風の遊魂を引く、是れ九泉
爾(人冠+小)後怨神兼怨仏 爾ソレより後神を怨み兼ねて仏を怨む
当初無地又無天     当初地無く、又天も無かりき
看吾両膝多嘲弄     吾が両膝を看て嘲弄すること多し
悼汝同胞共葬鮮     汝が同胞の共に鮮ワカジニせるを葬れるを悼む
 
 阿満已後小弟次夭    阿満已後イゴ小弟次いで夭せり
莱誕含珠悲老蚌     莱誕ライタンは珠を含みて老蚌ロウボウを悲しみ
荘周委蛻泣寒蝉     荘周は蛻ヌケガラを委アツめて寒蝉カンゼミに泣けり
那堪小妹呼名覓(求冠+見) 那ナンぞ堪へん、小妹の名を呼びて覓モトむるに
難忍阿嬢滅性憐     忍び難し、阿嬢の性を滅して憐れぶに
始謂微々腸暫続     始めは謂ふ、微々として腸暫く続くと
何因急々痛如煎     何に因りてか、急々に痛むこと煎るが如き
桑孤戸上加蓬矢     桑孤ソウコは戸の上ホトリ、蓬矢ホウシを加ふ
竹馬籬頭著葛鞭     竹馬は籬マガキの頭ホトリ、葛鞭カツベンを著く
庭駐戯栽花旧種     庭には駐トドむ、戯れに栽ウえし花の旧種
壁残学点字傍辺     壁には残す、学んで点ぜし字の傍辺
毎思言笑雖如在     言笑を思ふ毎ゴトに在るが如しと雖ども
希見起居惣惘然     起居を見んと希ネガへば惣スベて惘然ボウゼンたり
到処須弥迷百億     到る処、須弥シュミ百億に迷はむ
生時世界暗三千     生るる時の世界、三千暗からむ
南無観自在菩薩     南無観自在菩薩
擁護吾児坐大蓮     吾児を擁護ヨウゴして大蓮に坐せしめよ
 
阿満が死んでからと云うもの夜も眠れぬ。
偶タマに眠れば夢に見てさめざめ泣いている。
去年の夏あの子の身長は三尺余り、
今年は取って七才だった。
勉強して立派な人になりたいとせがみ、
早くも帝京篇を諳ソランじていた。
薬が痛みを抑えたのも僅かに十日。
無情の業風はお前をあの世へ連れ去った。
それから後は神も仏も怨めしく、
天地も目に入らぬ常夜トコヨの世界。
自分の両膝を見つめては自嘲する。
「二人の子を若死させてしまって・・・・・・」
 
老子は珠を含んだ親蛤に泣き、
荘子は蛻を集めて寒蝉ヒグラシの生の短きに泣いたと云う。
幼イトけない妹がお前の名を呼ぶのを聞くと堪えられない。
お母さんの身も世もあらず悲しむのが見ておれぬ。
初めはじわじわ腸が痛んだのに、
どうして急に煎るように痛み出したのだろう。
見ると遊び道具の桑の弓は蓬ヨモギの矢共々戸の辺ホトリにあり、
竹馬は葛の鞭共々垣根の辺にある。
庭にはお前が悪戯イタズラ半分に蒔いた花の古種の芽がちらほら、
壁にはお習字に加点した字の一部が残っている。
お前の言笑を瞼マブタに描くと其処に生きているようだけれど、
起居タチイの振る舞いを見ようとするとぼやけてしまう。
お前の行く処は須弥山の方、途中の十万億土で迷いはせぬか。
生まれ変わる時、三千世界はさぞ暗かろう。
南無観自在菩薩。
願わくば我が子を大きなる蓮台に坐せしめ給え。
 
 「帝京篇」は駱賓王の長篇の古詩。「山河千里の国、城闕九重の門、皇居壮なるを覩ミ
ず、安イズクんぞ天子の尊きを知らんや・・・・・・」云々。当時この詩が初学者の教科書とし
て使用されていたであろうと云われる。
 「莱誕は珠を含みて老蚌を悲しみ。」「莱誕」は老莱子のこと。「誕」は「冉(耳偏
+冉)」に通じて用いる。「含珠悲老蚌」は、晋の郭璞の賛に「万物の変蛻する(抜け
落ちる)其の理力なし。雀雉の化する、珠を含み當(王偏+當)(飾り玉)を懐イダく」
とあって、万物は変化する、その原則は如何ともし難い、雀雉は化して蚌ハマグリになり、
それが老蚌になると珠を体内に含むの意から、万物の逃れ得ない無情を悲しむ意であろ
う。この句と次の句の二句は難解で、解に自信がない。
 「阿嬢」は母の俗語。
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